愚神と愚僕の再生譚
1.共生暴力⑧ どうして鬼を殺すの?
途方に暮れていると、背後から足音が響いてきた。
それは近づきリュートを素通りすると、そばに落ちていたバッグに落ち着いた。
「やっと、追いつい、たっ……」
バッグを拾い上げたのは、DAGの女だった。さっき別れた時と同様、マスクはしていない。たぶん美人の部類に入るのであろう顔を酸欠にあえがせ、呼吸を整えている。
リュートは地面に伏せたまま、女を見上げた。
「いいタイミングだな、ひったくり捕まえたぞ。警察呼んでくれ」
警察という言葉に男が身じろぎするのが、拘束を通して伝わってくる。
しかし女は逡巡するように目を泳がせ、動こうとしない。
リュートは思い当たって、彼女の考えを拾った。
「ああそうか、警察は嫌なんだったな……まあバッグは無事だし、君にその意思がないなら別に構わない。俺だって緋剣さえ返ってこれば、それでいいし」
目でバッグを指し示し、緋剣を返せと暗に促す。
が、彼女はその言葉にすら耳を貸さず、一方的に口を開いた。
「あなたは、どうして鬼を殺すの?」
「鬼を排除するのが俺たちの役割だ。それはカルテンベルクの誓いで、地球人が求めたことでもある」
教科書を暗唱するかのごとく、リュートは答えた。
鬼は排除すべき存在。当たり前の認識だ。
女はその当たり前の認識に、真っ向から挑んでくる。
「命が絡んでるのに、役割とかでごまかさないで。あなたはなにも感じないの? 鬼を殺す時、なにも思わないの?」
別に殺すわけじゃない。
と言えたら、少なくともこの場は収まるのかもしれない。
堕神は仮にも神であった存在。リュートたち神僕には、彼らを滅殺するまでの力はない。この場で排除したとして、また時を置いて、別の場所に幻出するだけだ。
だがそれは明かせない事実だ。DAGのような一部の例外を除き、地球人は鬼の撲滅を望んでいる。それが渡人には不可能と知れれば、渡人を受け入れる理由のひとつが消えてしまう。
「なんだお前、渡人は地球人を護るために鬼を狩ってるんだぞ? 矛先が違うだろ! お前は一体何様だ!」
「ややこしいからお前は黙れ」
なぜか怒りだす男を締め上げながら言葉を探し――締め過ぎたのか、男がぐぎゅっと声を上げた――リュートは結局、当たり障りのない建前を返した。
「たとえ感じたとしても関係ない。俺たちの優先順位は地球人だ」
「恩着せがましい言い方はやめて! あなたたちは自分の権利を確保するために、私たちにこびて鬼を殺してるだけでしょ!」
声を荒らげる彼女。力んだのか、握ったバッグの持ち手に皺が寄る。
「あなたたちには心がないんだわ。自分たちを異世界の人間だって――私たち地球人と同じ人間だって言い張ってるけど、全然違う。私たちには心がある。あなたたちの根幹は醜くゆがんでる。心なんてない」
「……そうかもな。君には、心ない俺たちの言動は理解不能かもな」
徹底的にこき下ろされ、いら立ちが募っていく。
どうしても抑えきれず、リュートは挑発気味に続けた。
「でもそれなら、君はどんなご立派な心をもってるんだ? 大して害もない虫を、君らだって殺すだろ。どんな気分で殺すんだ? 教えてほしいね、心から」
彼女の顔が、さっと朱色に染まる。
「……そういう問題じゃ、ないでしょっ。やっぱり冷酷種族には分からないのよっ!」
「ちょっ……おい待て緋剣は置いてけ! おいっ⁉」
駆け去っていく女の背中に呼びかけるも、反応はない。
さらには、彼女に気を取られて拘束が緩んでいたらしい。男がぐるんと反転し、逆にリュートが押さえつけられる形となった。
「馬鹿、おとなしく――」
しろ、と言う前に、男の肘がリュートの腹を押し潰した。
「……っ!」
たまたまなのだろうが傷口をえぐられ、身もだえするリュート。
その隙に男は立ち上がり、
「悪いっ、もうしないから見逃してくれ!」
女が去ったのとは反対方向に逃げていく。
(フリークなら、守護騎士をいたわれよ……)
毒づき、リュートは腹を押さえて身を起こした。両者正反対の方向に逃げたので、捕まえるならどちらかを諦めなければならない。
もちろんリュートは緋剣の回収を選び、女を追おうと足を踏み出した。
そして背後からタックルを受け、そのまま盛大にこけた。
「はがっ⁉」
地面に打ちつけた鼻が痛むが、なにより腹を締め上げられるのが傷に響いた。誰かが――恐らくはタックルを決めてきた誰かが――リュートの腰に両腕を回し、しっかりと抱きついている。
「なんなんだよさっきからっ⁉」
駆け巡る痛みに涙をにじませ、リュートは自分にのしかかっている相手を振り返った。
それは少年だった。それもかなり幼い、10歳にも届いてなさそうな男児だ。
彼は興奮しているのか、顔を紅潮させ、しきりに「やった」と繰り返している。
「やった! 守護騎士を捕まえたぞ!」
歓喜の声に合わせ、ぎゅうっと締めつけが強くなる。
「いだだだだっ! 痛え! 離れろ馬鹿!」
「お前弱いなっ。離れてやるからシモベになれよ! 僕がご主人様だ!」
「あ? お前なに訳の分かんねえこと――」
「シモベだぞっ!」
「分かった僕だ! 僕でいいからマジそこやめろぉっ!」
閑散とした地下道に、リュートの悲痛な叫びが響き渡った。
◇ ◇ ◇
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