愚神と愚僕の再生譚
8.神苑を生きる者たち① 愛情の裏返しだ。
◇ ◇ ◇
大きな窓から、柔らかな午後の光が差し込む。
いつもは閉じられた趣味の悪い――とテスターは思っている――重厚なカーテンが、なんの気まぐれか、今日は開け放たれていた。
初めてここに呼ばれたのは11歳の時。高等訓練校最初の定期考査で、トップの成績を収めた時だ。表彰でもしてくれるのかと思いきや、リュートの監視を命じられた。
それ以降は報告のため、定期的に学長室に呼ばれた。
(でも今回はなんなんだ?)
執務机を前に――つまりは、その机で仕事をしている神僕の長を前に――立ちながらいぶかしむ。4日前のことなら、口頭でも書面でも報告済みのはずだ。
「お怪我は大丈夫ですか? リュートにやられたと伺いましたが」
先に口を開くべきではなかったが、ついつい言葉が滑り出た。
書類にペンを走らせるセシルの右手には、ガーゼが貼られていた。彼は下を向いたまま、手を休めることなく答える。
「ああ。だが彼の名誉のために言っておくが、故意に私を傷つけたのではない。あれだけの血刃を、緋剣を通さず具現化したのだ。干渉を誤って刃のひとつが命中してもおかしくはない。むしろ誤るのが必然、誰が考えても愚行だ。それを実行してしまった彼が、ただどうしようもなく、いつも通り愚かだったというだけだ」
フォローしてるのか全力でけなしてるのかよく分からない返答に困り、
「……なぜ女神様の宿主を保護されないんですか?」
結局は、別で気になっていたことを尋ねる。
「女神様のことは公表できない。その上で、地球人をこちらで引き取る手続きをしようとすると、どうにも複雑でね」
「しかし堕神だけでなく、一般の事故や事件に巻き込まれる可能性もあります」
「幸いというべきか、堕神以外の要因で宿主が命を落としても、女神様は死なない。他の個体に同化するだけだ。ひとまずはできうる限りの護衛を付けて、宿主が高校を卒業するまでに堕神への対策を練るしかない。これは女神様のご意思でもある」
セシルとしては不本意なのだろう。嘆息とともに、ペンを運ぶ手が止まる。
「俺はもう、リュートの監視はしなくていいんですか?」
「そうだな。だが、友達になってくれると助かる。もちろんセラとも」
「え? ええもちろん。というより、すでにそうですし。少なくともリュートとは」
虚を突かれ、戸惑いながらも肯定する。まあセラの方は問答無用に矢を打ち込んでしまったから、どうともいえないが。
(リュートたちの友人関係は、割ときめ細やかに気にするよな……もしかして学長、昔友達いなかったのか?)
セシルの性格を考えると、あり得る話ではある。
セシルは黙りこくったテスターの顔を見上げて、眉をひそめた。
「意外かね? 私とて親だ。立場上難しい時もあるが、子どもたちを愛している。リュートやセラのことも、女神様が許してくださったことで、どれほど救われたか」
(それでも女神様のためになら、自分の子どもの命だろうと、迷わず差し出すのが学長か)
軽く鳥肌が立つ。セシルは生粋の神僕だ。
思うところでもあるのか、セシルが珍しく、言い訳するように後を続ける。
「リュートに厳しいのも愛情の裏返しだ。訓練校在籍中にあらゆる苦痛や理不尽に耐えることができれば、この先どんな困難でも乗り越えられる」
「乗り越えるべき困難が訪れる前に、苦痛に圧殺されそうな気もしますけど……それにそこはもうちょっと、表を見せてあげてもいいんじゃないですか? あいつ刺された時、学長が本気で殺す気だと思ってたみたいですよ」
「心外だな……もっと指導が必要か。そんなゆがんだ目で親を見るとは、先行きが心配だ」
「俺はそろそろ、学長が刺し殺されるんじゃないかと心配です」
「なぜだ?」
「いえ。愚考でした」
ごまかすように、長めのまばたきをする。
と、かたりとペンを置く音。
セシルが作業を止め、手を組んでこちらを見上げていた。
「それで本題なのだが。君に頼みがある」
◇ ◇ ◇
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