愚神と愚僕の再生譚
1.垣間見える幻妖① 鬼が悪戯ぁ?
◇ ◇ ◇
「鬼が悪戯ぁ?」
リュートはペンを休め、市販の古文問題集から顔を上げた。
「そ。見たって人もいるんだから」
目の前に立つ、眼鏡を掛けた少女――江山悦子は、リュートの興味を引いたこの機を逃すまいと、机に両手を突いて身を乗り出してきた。
授業の合間の休み時間。
教室では雑談をするなり、スマートフォンをいじるなり、次の授業で当てられたときのための予習をするなりで、皆が思い思いのことをしている。以前はリュートの一挙一動に注目していたクラスメートも、さすがに好奇心が落ち着いたらしく、こちらのことを気にする様子もない。
そんな解放感あふれる空間の中、リュートはシャープペンシルの頭で、自らの頭をコツコツと小突いた。
「ふたついいか?」
「どーぞ」
その反応は予想済みとばかりに、大仰にうなずく悦子。
「まず、鬼が出たら守護騎士が即狩ってるけど、そんな場面見たことない」
空いた手で守護騎士の青い制服をなで、窓の外の運動場へと目をやる。ちょうど橙髪の少年――テスターが、その鬼と呼ばれる堕神を狩っているところだ。
「んでふたつ目。なにより――もし鬼が、この世界に物理的な接触を図れるようになったとしても、だ――鬼が悪戯なんか仕掛けるわけないだろ」
あまりに馬鹿らしい話題に、ため息が漏れる。
しかし悦子は納得いかないようだった。手のひらで机を小刻みにたたき、
「そうはいっても実際、鬼が仕掛けるのを見たって人がいるの。めっちゃ悪意アリアリの悪戯!」
「どんなだよ」
「靴箱付近の廊下にワックス塗って部分的に滑りやすくしたり、教室の扉に黒板消し仕掛けたり」
「あるっちゃあるけど、しょぼ過ぎるだろその悪意。どうせどっかの馬鹿が、自分で仕掛けた悪戯を鬼のせいに――」
興味も失せ、問題集に戻っていた手が止まる。
ページをめくって開いた誌面には、赤い油性インキの文字が乱雑に躍っていた。
『変態 チビ さっさと出てけ』他、見るに堪えない暴言が多数。
「ほらー! きっとこれも鬼の仕業だよ!」
「いや、これは絶対に鬼じゃない」
ひとつ挟んだ右隣の席から、こちらをにらんでいる少女――角崎凜を視界に収め、半眼でうめく。
「とにかく天城君たちに、なんとかしてほしいの」
「なんとかって言われても……」
「鬼が絡んでるんだよ、守護騎士の出番でしょ!」
業を煮やしたように地団駄を踏み、悦子が机に体重をかける。傾いた机上から問題集が滑り落ち――
「あ。ごめん」
「いや、いいけど。別に」
勢い余って容赦なく踏みつけてしまった問題集を、悦子が拾って差し出してくる。靴跡が付きページは無残に折れ曲がっているが、使えないわけではない。
受け取ったそれを元の状態に戻そうと、リュートは折れたページを正し始めた。食費と違ってこれは自腹――訓練生が得られる微々たる収入からの自腹――での購入となるため、大切に使わなければならない。
と、
「リュート様っ! さっきから、なにナヨったこと言ってるんですか!」
廊下側の席から、金髪の少女が突進してくる。どうやら聞き耳を立てていたらしいその少女は、勢いを殺せずリュートに軽い頭突きを食らわせた後立ち止まり、拳を天井に突き上げた。
「今聞いた話、もし本当ならきちんと対処しないと! それが私たちの使命です!」
「そうだな」
ぶつけられた額をさすりながら、感情なく同意する。緑を基調としたアシスタントの制服に身を包んだ少女――セラは、一見ものすごい使命の炎を燃やしているように見えて、その碧眼には全く違う感情をさらけ出していた。
つまりは「マジどーでもいい」。
(相変わらず、末恐ろしいまでの猫かぶりだな)
口に出しては言えないが。
一方、セラの目が死角となっている悦子は、彼女の本音に気づくことなく感嘆の声を上げる。
「さっすが。水谷さんは話が分かるっ」
「当然です! リュート様、私たちは渡人として――いえ、同じ学び舎の友として、事の真偽を確かめるべきですっ!」
調子が出てきたのか、さらに身ぶりを激しくしたセラの手が、そばを通り抜けようとしていた男子生徒の手首にぶつかる。
思いの外強く当たったからか、不意を突かれたからなのか。
男子生徒の手から、持っていたコーヒー牛乳の紙パックがはじけ飛び――
「あ」
「お前ら……俺に恨みでもあんのか……?」
ずたぼろの上コーヒー牛乳まみれの問題集を見下ろしながら、リュートはぽつりとつぶやいた。
◇ ◇ ◇
応援コメント
コメントはまだありません