愚神と愚僕の再生譚
2.地球人と疑惑と渡人⑦ いいから黙って取っとけよ。
「あの、天城君」
その呼び名には慣れていないため、すぐには反応できなかった。
一拍ほどおいてリュートが力なく振り向くと――それほど空腹だったのだ――少女がひとり、所在なさげにたたずんでいた。昨日リュートの右肩にとどめを刺してくれた、あの少女である。
条件反射で顔をしかめたリュートの機嫌を取るかのように、少女はぎこちない笑みを浮かべた。そしてすっと、なにかを差し出してくる。
「よかったらこれ。天城君、仕事でお昼買う余裕なさそうだったから」
サンドイッチとクリームパン。
空腹のため2割増しでおいしそうに見える。これが食べられたらどれほど幸せか。
リュートは数秒かけてその味を夢想してから、少女をまじまじと見つめた。
「わざわざ買っておいてくれたのか?」
「はい」
変なやつ。大した知り合いですらないのに。
さすがに口には出さなかったが、心の中で率直な感想を抱いた。
ともあれ買っておいてくれたというなら、その親切は受けねば逆に失礼だろう。
「ありがとう、助かった」
パンを受け取り懐をまさぐる。
その動作が意味するところを察し、少女が慌てて両手を振った。
「お金は要らないです。昨日のおわびも兼ねて、私が勝手に買っておいただけですから」
「そういうわけにもいかないんだよ。ほら」
内ポケットから適当に小銭を出し、少女の手のひらに押しつける。
「でもこれ、元の代金より多いですっ」
「そうなのか? んじゃ手間賃の上乗せってことで」
「そんなわけには……」
「あーもう! いいから黙って取っとけよ。むやみやたらとモノをもらうわけにはいかないんだ。俺のためを思うなら受け取ってくれ」
厳密には現金の過払いもよろしくはないのだが、どちらかといえば面倒くささの方が先だって、リュートは一方的に言い放った。
「は、はあ。ありがとうございます」
無駄だと分かったのか、おとなしくお金をしまう少女。そのまま立ち去るのかと思いきや、動かず視線だけを泳がせている。
親切を受けた手前こちらとしても立ち去りにくく、リュートは昨日と同じく彼女を促した。
「なに?」
「えーっと。その、ほら、私もお昼まだで。だからほら、天城君もまだだし、その」
買う気もないのに店先で長居され、購買の女が迷惑そうな顔を向けてくる。
そのねちっこい視線に押しやられるようにして、リュートは一歩身を引いた。
「用がないなら俺はこれで――」
「一緒に食べちゃ駄目ですかっ? あ、ひょっとしてそれも禁止だったりします?」
「いや、別に禁止じゃない。けど――」
「よかった」
「けど」の部分は都合よく無視して、大袈裟に胸をなで下ろす少女。
(……まあいいか。別に渡人の内情を探ろうとする記者、ってわけでもねーんだし)
パンの件もある。渡人に興味があって近づいてきたなら、いろいろ答えてあげてもいいだろう。無論、許される範囲内での話だが。
「じゃあ早く食べようぜ。空腹で死にそうだ」
「よかった」
繰り返して、少女はこちらに右手を差し出してきた。なにがそんなにうれしいのか、これ以上ないくらいの満面の笑みを浮かべて。
「私、須藤明美です。よろしくね天城君」
◇ ◇ ◇
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