愚神と愚僕の再生譚
7.女神の因子と従僕の意志⑦ それでもやめない。やめたくない。
リュートは緋剣を発動せた。同時に、鞄の中身を蹴り倒す。
鞄の中身はカートリッジ――ではなく、大きな容器だった。蓋が付いていたが倒れた衝撃で外れ、中身が床にぶちまけられる。あらかじめカートリッジから取り出しておいた、リュート自身の血液だ。
「…………?」
セルウィリアが詠唱を続けながらも、いぶかしげな視線を送ってくる。
動悸の激しさは頂点に達していた。心臓が胸を破って飛び出しそうだ。
リュートは左手で、腹の包帯をむしり取った。
陰惨な覚悟をたたえた笑みをセルウィリアに返し、そして――
自らの腹を、緋剣で刺し貫いた。
「――っ! お兄ちゃんっ⁉」
セルウィリアが悲鳴を上げ、詠唱を中断する。
「い……ってえな、畜生……」
開いた口から血がこぼれ落ちる。
緋剣はセシルに負わされた傷を、そのまま逆方向から、再現するように刺さっていた。引き抜くと、増血剤で生成されたばかりの血液が大量に流れ出た。
「ちょっと……なに、それ……なんなのよ……?」
リュートを――いや、リュートの周囲を見て、ぞっとした声を上げるセラ。
「血が足りないなら……搾り取るんだろ?」
痛みで散漫となる意識を集中させ、無理やりに口の端を上げる。
「お前の言う通り……この傷じゃ、緋剣ぶん回す余裕ねえからな」
リュートの周りには、鋭利な物質が大量に浮かんでいた。カートリッジの血液から、そして今まさにリュートから流れ出ている血液から生み出された、緋色の刃。干渉が及ばなくて、ところどころ形を崩しているものもある。
「そんな……やめてよ! 間違って体内の血液を凝固させてしまったら危険なのよ! 分かってるでしょ⁉ そんなあやふやな意識で、制御できるわけないじゃない!」
セルウィリアが金切り声で叫ぶ。
言葉を返そうとし――なんの前触れも兆候もなく、ぶつ切りに呼吸が止まる。
「…………⁉」
喉元まで上がってきた血液が凝固し、気道を塞いでいた。周囲に浮かぶ血刃の輪郭がゆがむ。停滞する生命活動に、パニックの波が押し寄せ――
「――がはっ……」
喉奥から、凝固の解けた血を吐き出す。咳き込みながらも血刃へ意識を向けると、融解しかけていた刃が、再び鋭さを取り戻した。
(うっかり干渉を誤ったら……って考えるだけでも危険だな)
視界が暗い。脂汗が頰を伝い、血の臭いにむせ返る。それでもやめない。やめたくない。
「なんで?……どうして、そうまでして邪魔するのよ⁉」
駄々をこねる子どものような声。下唇を嚙み、セラが大きくかぶりを振った。
「……いいよ、もう……もういい! 今は幻出の手前で抑えてるけど、それを超えたらお兄ちゃんも襲われるんだから……死んじゃっても知らないんだからっ!」
次元のずれが大きくなる。と、体育館の外から、なにかが近づいてくるような物音。
「えっ?」
戸惑うセルウィリアに、場違いな微笑ましさを感じる。肝心なところで間の抜けている妹だ。
「意味深な連絡を受けたのに……テスターが、報告もせず来るわけないだろ」
正直言うと、もう少し早く来てほしかったが。
身体を支えるため足をさらに開こうとするが、具現化し損ねた床の血に滑り、倒れかける。
なんとか踏みとどまり、リュートは女神に念を押した。
「女神、約束は守れよ……セルウィリアはおとがめなしだ」
「分かったから早くしろ。お前が死んでも代わりはいるが、私の代わりは誰もいない」
「本当お前は、殺したいほどウザいやつだな……」
額に汗をにじませ、苦笑する。
睡魔が襲ってくる。もう十数秒ももたない。カウントダウンに歯向かうように、ギリギリと意識を引き絞っていく。研ぎ澄ませ、一度爆発させられれば、後のことはどうでもいい。
幻出した堕神たちがリュート――というより、女神の存在を認識し、一斉に襲いかかってくる。
入り口から、セシルと数名の守護騎士が現れたのを、視界の端で確認し。
「セルウィリア。死にたくなきゃ動くなよ……微調整する余裕なんて、ねーからな」
生と死の極限の狭間をさまよいながら。
リュートは堕神の群れに向かって、緋色の刃をぶっ放した。
◇ ◇ ◇
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