愚神と愚僕の再生譚
2.至極まっとうで謙虚確実な報酬の取得手段すなわち有償奉仕① うれし恥ずかし喜ばしい限りです。
◇ ◇ ◇
白く大きな綿雲が、ゆっくりと空を移動していく。遅々としたその進みに引きずられ、体感時間まで狂わされそうになる。雲と一緒に空を旅する自分を夢想すれば、どこまでだって飛んでいける。時間を気にせず目的もなにもなく、ただ彼方をめざして進めるのは、きっと最高の贅沢なのだ……
本格的にとらわれる前に、セラは雲から目をそらした。
(ちょっと早く来すぎたかしら)
約束の時間までは、まだ少しある。駐車場のコンクリートブロック塀に腰掛けているだけでは、時間つぶしの術も限られる。
暇を持て余していると、誰かが近づいてくる気配があった。
待ち人かと思って顔を向けるも、全くの他人。待ち人と共通する特徴といえば、男であるということと、G専科の制服を着ているということくらいだ。
渡人の標準的な髪色である金髪に、実直そうな顔立ち。制服に入っているライン色――落ち着いた深緑色――からすると、4回生ということになる。
少年は、持ち手付きのブラシやら洗剤やらを入れたバケツと、巻き取りホースをそれぞれ手に持ち、どこかに向かっているようだった。恐らくは洗車でもするのだろう。守護騎士の車の洗浄は、有償奉仕活動のひとつだ。
不思議なのは、少年が、通りがかりというには強過ぎる視線を浴びせてきたこと。
(知り合いだったかしら?)
考えてみれば見覚えのあるような気もしてきたが、何年も同じ施設で育っているのだから、それだけでは全く参考にならない。
などと思いながら「おはようございます」と挨拶すると、
「お、おはようございますっ」
びくりと肩をすくませ、少年が不意を突かれたように返してきた。その際に揺れたバケツから、ブラシが落ちる。
セラはブロック塀から、ひょいと腰を上げた。かがみ込んでブラシを拾うと、少年のバケツに戻し入れてやる。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
恥ずかしそうに礼を述べる少年。
そのまま立ち去るかと思いきや、彼はこちらの顔を見つめて聞いてきた。
「セラ先輩……ですよね?」
形式的に確認したというだけで、少年自身は確信しているような聞き方だ。
「そうですけど……どこかでお目にかかりましたっけ?」
「はい。ほら、半年前の尊崇シンポジウムで」
「……ああ!」
ようやく合点がいく。
少年の顔に見覚えがあったのは、セラが出席したシンポジウム――女神を崇め奉る、薄ら寒くて全くもってクソみたいなお遊戯発表会だ――で、彼も発表者として出席していたからだった。
少年は両手の荷物を地面に置くと、両拳を握った。
「セラ先輩のスピーチ、本当に感動しました!」
「あなたも発表されてましたよね。確か……」
「4回生のタカヤです! 俺、先輩のこと尊敬してます!」
名前を思い出そうとする暇すら与えず、タカヤがずずい、と詰め寄ってくる。
「主の役に立てぬ手足など言語道断、即刻もぎ取り番犬の餌とすべし――あの言葉は俺の指針となりました! なんてったって書き出して、今も寮室の壁に張ってあるほどですから!」
「そーなんですかそーですか、うれし恥ずかし喜ばしい限りです」
狂気の言葉を毎日視界に入れざるを得ないルームメートに同情しつつ、セラは適当に言葉を返した。
「まったく、他のやつらに先輩の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいですよ。女神様を敬う気持ちに欠けています! 特にあの――」
勢い込んでいたタカヤが、ぶつりと言葉を切る。
「?」
小首をかしげるセラに、彼は申し訳なさそうに続きを述べた。ゆるんだ拳を所在なさげに握っては開き、
「セラ先輩の手前、こんなこと申し上げにくいのですが……リュート先輩は、神僕としての自覚に欠けています。あまりにひどくて……俺、見てるとたまに我慢できないって思う時があるんです」
(ああ、そういうことね。私がリュート様を慕っているから)
不敬虔なリュートを、こちらの前では批判しにくいということか。
「そんなことないですよ」
セラはぱたぱたと手を振った。
別に流してもよかったが、不遜な態度が目立つほどに、兄が学長から目をつけられやすくなる。妹としてフォローしてやることにした。
「ああ見えてリュート様は、女神様のことを第一に考えてます。恥ずかしがり屋さんだから、周りにバレないようアウトローを演じてるだけです」
「そうなんですか?」
信じられないと目をむくタカヤ。
セラは調子に乗ってうなずく。
「はいっ。信頼する私だけに打ち明けてくれたんですけど、リュート様はそれはもう、これでもかっていうほど女神様に恭敬してますよ! ただシャイなだけなんです。その内に秘めた想いは頑強かつ徹底的で、誰もいない寮室の壁に向かってひとり延々と、女神様への忠愛をつぶやき続けるほどです。シャイでミスティックで実はいい子。それがリュート様なんですよ!」
「……そ、そうなんですか?」
『そうなんですか! 安心しました!』という返しを期待していたのだが、タカヤが見せた反応は、禁忌に触れて後悔する者のそれだった。思っていたより女神狂いではないようだ。
ちょっと間違えたかもしれない。そう感じつつも、
「はい、そうなんですよぉ」
まあいいかと、セラは間違いを貫き通した。
◇ ◇ ◇
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