愚神と愚僕の再生譚
5.丑三つ時の狂乱① なんてことするんだ……
◇ ◇ ◇
夜間用の低照度の明かりの下、廊下をひた走る。
人形は壁をすり抜けたりもせず、真っすぐ廊下を移動していた。その点は後を追うのに都合が良い。ただ、
「畜生……みんな僕を馬鹿にして……」
廊下を徘徊する理由が恨み節を吐き散らすことにあるのなら、リュートとしては迷惑千万だった。寮の1階は大浴場や洗濯室などの共用空間で占められているので、この深夜では――外出禁止の時間帯にあえてうろつこうとする物好きがいない限り――そうそう聞かれることもないだろうが……
「おいお前! 止まれ!」
なるたけ足音を抑えて走りながら、聖灰の小瓶を手に声を上げる。
あれがリアムを模しきれているのかは甚だ疑問が残るところだが、取りあえず彼らはしゃべり過ぎだ。下手に秘め事を吐かれては困る。できれば自分の手で、それもツクバがなにか勘づく前になんとかしたい。それがかなわぬなら、最悪セシルに対処を頼むことも視野に入れていた。
問題は、どうセシルに報告するかというところ。
(あのクソ野郎のことだ。セラの身体から出てきたなんて言おうものなら、真相解明のためと称してなにするか分かったもんじゃねえ)
それら一連の思考の流れを経ても、前方を行く人形は止まる様子を見せない。もうすぐ寮の突き当たりだ。
(壁や天井を透過されたら厄介か)
リュートは足音を消すのは諦めて、走るスピードを上げた。小瓶の蓋を取り、距離を詰めながら前方の人形へと投げつける。
小瓶は中の灰をまき散らしながら回転し、弧を描いて人形を通過した。そのまま地面に落ちて砕け散る。
(お?)
リュートは期待に眉を上げた。人形が動きを止め、こちらを振り返ったのだ。
今度はイカ墨が来ても避けられるだけの距離を十分に取り、人形と向き合う。自分で処理できなかったとしても、なにかひとつくらいは報告できることを見つけたかった。
「お兄ちゃんっ」
ぱたぱたとした足音とともに、セラの声が耳に届く。
リュートは人形を見たまま後方へと返事した。
「お前も来たのか?」
「心配だしね、一応は」
セラはリュートの横に並ぶと、事務的に続けてきた。
「聖灰ぶつけたの? 効果は?」
「さあな。少なくとも気は引けたみてーだけど」
目を細めて様子をうかがう。人形はうつむき、ぶるぶると肩を震わせていた。
「なんてことするんだ……」
犬歯をむき出し、ぎっと顔を上げる人形。もし目が付いていれば、瞳を怒りにたぎらせている勢いだ。
そして次の瞬間、人形は急に饒舌になって、怒りを爆発させた。
「常識で考えろよ馬鹿かっ⁉」
「へ?」
「人に粉の入った瓶を投げつけるなんて、非常識もいいとこだっ! 一体どんな親に育てられたらそーなるんだよ⁉」
「あ、えと。わ、悪い……」
思わず謝ってから、後追いで思い出す。
「いやイカ墨ぶっ放したお前に言われたくねーよ!」
「イカ墨って言うな!」
「じゃあイカ墨吐くな!」
「うるさい! 死ね!」
子どもらしいといえば子どもらしい直情的な結論を提示して、人形がイカ墨を吐き出してくる。先ほどを上回る量だ。血液だったら軽く致死量を超えている。
「ぅわっ⁉」
セラをかばうようにして身を引き、なんとかイカ墨攻撃を回避する。
人形は一言「死ね!」と付け加えると、天井を透過し2階へと行ってしまった。
天井を見上げて舌打ちをするリュート。
「あのガキっ!」
「自分でしょ」
「俺じゃねえ! つかどっちかっつーとお前だろ!」
リュートは身体を反転させ、ここから一番近い西階段へと向かった。ついでに、うやむやになっていた話題を蒸し返す。
「さっき言いかけてたよな? 『最近ちょっと』なんなんだっ?」
「それは……」
「この期に及んでごまかすなよ? 理由も理論も不明だが、あれがお前から出てきたことに間違いはないんだ」
「分かってるわよ」
階段を駆け上る足は止めずに、セラが不承不承続ける。
「なんか最近変なのよ。違和感があるっていうか……私の中に、別の私がいるみたいな……」
がすっと空気を踏み抜いたのは、動揺のあまり踊り場で、ないはずの最上段プラス1段を上ってしまったからだった。
「お前それっ……」
足裏に伝わる痛みはこの際無視して、リュートはセラの腕をつかんだ。立ち止まって問いただす。
「それってお前の中に取り込まれてるっていう、堕神じゃないのか?」
「たぶんね」
「なんでもっと早く言わねーんだよ⁉」
「言ったってなにかできるわけでもないじゃない。違和感すらあやふやで、どう伝えればいいのかも分からないのに」
「それでも話すくらいしろよ!」
呑気に受け答えするセラに、つい責め立てる口調になってしまう。
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