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すっかり眠ってしまった二人を大きなクッションに寝かせて、俺はそっと二人の間から抜け出した。 薄手の毛布をかけてやりながら、まだほんの少し寂しさを残した寝顔を見つめる。 こんな可愛い子達を置いて、あんなに誠実な人を置いて、ザルイルの奥さんはどうしていなくなってしまったんだろうか。 どうしようもない疑問は、自分の胸にも深く刺さった。 俺の両親は、俺がまだ小さい頃に離婚していて、物心ついた時には父と二人暮らしだった。 ああでも、父はザルイルほど良い人ではないからな……。悪い人だとまでは、言い切れないが。 その点、ザルイルは誠実だし紳士的で責任感も強い。悪い癖だって、今のところ見当たらない。 むしろ、こんなに子ども思いのザルイルが、奥さんとそんな簡単に別れたりするだろうか? ……もしかしたら、奥さんとは死別なのかも知れないな。 だから、二人は母親のことを全く口にしないのかも知れない。 ザルイルが辛くならないように、子どもなりに気を遣っているんだろうか。 俺は、そんな事を考えながら、料理の仕上げに取り掛かる。 もう随分と遅い時間だ。ザルイルもさすがにそろそろ戻ってくるだろう。 シンクの下に隠しておいた瓶詰めを取ろうと、棚の奥へと頭を突っ込む。 この家の家具はどれもザルイルサイズでできているので、子どもたちから半分ずつ要素をもらった今の状態では、まだまだ大きい。 体が完全に棚の中に入り込んだ時、バタンッと音を立てて棚の扉が閉まった。 次いでゴトゴトンと重い音が扉の外で響く。踏み台がわりにしていた椅子が倒れたんだろうか。 それきり、扉は開かなくなった。 中から押しても叩いても、扉はびくともしない。 物を動かす力で押してもピクリともしないので、棚の向こう側で椅子がつっかえているんだろうな。 思い切り力を込めれば開くかも知れないが、それではザルイルの魔力をたくさん消費してしまうだろう。 きっと彼も、もうヘトヘトだろうに。 うちに帰ろうと今も懸命だろう彼から、その力を奪うような事はしたくなかった。 子どもたちの寝ている部屋からここまでは距離がある。 扉越しに叫んでも、きっと気付かないだろうな。 ……大丈夫だ、もう少しすればきっとザルイルが帰ってくる。 そうしたら、助けを呼べばいい。 彼ならきっと、俺をここから出してくれる。 この扉を開けてくれる……。 俺は、閉じ込められてるわけじゃない。 今はたまたま、運悪く、出られなくなっているだけだ。 そう自分に言い聞かせながら、ゆっくり深呼吸する。 自分が震えていることに、俺は気付いていた。 暗くて狭い、四角い空間。 息を殺して、声を漏らさないように。父が開けてくれるまで。 いつになるか分からないけど、きっと、きっと開けてくれる。 子どもの頃、そうやって繰り返し自分を励ましていた。 そんな感覚が重なってしまいそうで、必死に首を振った。 ええと、料理の仕上げは、あと、あれと、これと……。 最後に振ろうと思ってた香草……パセリみたいなやつは、ここではなんて名前だったっけな……。 違うことを考えて、自分の気を逸らそうとする。 それでも、じわじわ息が苦しくなってくる。 上がってくる息を抑えようが無くて、震える両手で胸元を握り締めた。 落ち着け。大丈夫だ。 俺くらいのサイズなら、酸素はまだまだいっぱいある。 落ち着いて、ザルイルの帰りを待つんだ。 ザルイルの両手に包まれてここへ運ばれた時は、慌てこそすれ、こんな恐怖は感じなかったのに。 ザルイルの手が、ふわふわで温かかったからだろうか……? あの時は、指の隙間から見える外の景色があまりに信じられなくて、ただただ混乱していた。 こんな場所でどうやって生きて行けばいいのかと、途方に暮れた。 夢が覚めることを、切に願っていた。 けれど、今は違う。 俺はまだ、この夢から覚めたくなかった。 暗闇の中で、意識がふわふわと現実味を失ってゆく。 このまま、夢から覚めてしまうのだろうか。 俺を慕ってくれる四人の子を置いて……、俺に会えてよかったと言ってくれた人を置いて、俺は戻ってしまうのか……。 そんなこと、したくない。 ライゴ、シェルカ……、ザルイルさん……。 遠のく意識の向こうから、確かに羽音が近付いてくる。 小さく巣を揺らす衝撃。 いつものように、ザルイルが大きな体で、なるべくそうっと巣に降り立ったんだろう。 「あっ、父さん、おかえりなさい!」 その衝撃で目覚めたのか。ちょっとだけ眠そうな、それでも待ちわびた親の帰宅に心弾ませるライゴの声。 「ただいま。遅くなってしまって、すまなかったね」 「ん……、……ぁ、お父さん、おかえりなさい……」 シェルカもまだ半分夢の中といった声ではあるが、目を覚ましたようだ。 「見て見て! これぜーんぶ、僕たちで用意したんだよ!」 「ほう……これはすごいな。いつの間に用意していたんだい? 全く気づかなかったよ」 落ち着いた優しげな声が、子ども達を撫でるようにかけられる。 「えへへ、父さんびっくりした!?」 「ああ、とても驚いたよ。こんなに沢山大変だったろう。ありがとう」 「シェルカね、いっぱい頑張ったの。ニディアも一緒に作ってくれたよ」 シェルカの言葉に、ザルイルがもう一度礼を言う。 「あれ? ヨーヘーは??」 ライゴがようやく気付いてくれたようで、俺を探すように右へ左へ足音をさせている。 「父さんっ、どうしよう! ヨーへーがいなくなっちゃった!!」 巣をひとまわり見て回ったライゴが悲痛な声を上げる。 「ヨーへー前に言ってたんだ。もしヨーヘーが急にいなくなったら、父さんを呼べって……。……もしかして、これって……」 あんなにはしゃいでいたライゴの声が、次第に滲んでゆく。 ああ、違うんだ……。俺はまだ、ここにいるよ……。 伝えたいのに、頭の芯が痺れて、体はまるで思ように動かない。 俺は戸棚の奥で小さくうずくまったまま、息をする事に必死で、声を出すことすらできずにいた。 「……そうか……。彼は知っていたんだね……」 何かに深く納得するようなザルイルの声。きっと、あの紫のふさふさの毛を揺らして、ゆっくり頷いたんだろう。 「私も、こないだのヨウヘイの笑顔が何だか壊れそうに見えてしまって、調べていたんだ。どうやら、ヨウヘイのように別の世界から来た者は、不意にいなくなる事があるようだね。……残念だが、それは、本人の意思でどうにかできる物ではないらしい」 ザルイルが落ち着いた声で話す。 そんな事を……わざわざ……調べてくれていたのか……? 仕事の合間を縫って? もしかして、遅くなったのはそれを調べてて……? 「そんな……」 「じゃあヨーへーは……?」 涙声のライゴとシェルカに、ザルイルは優しく声をかけた。 「落ち着きなさい。今の話は事実だが、私たちのヨウヘイはまだここにいるよ」 「え?」 「そうなの!?」 「ああ、お前たちがまだその姿をしているのが、何よりの証拠だ」 そう告げるザルイルの気配が少しずつ近付いてくる。 「ふむ……。ここかな?」 ガタガタと音を立てて、ザルイルが棚の前に倒れていた椅子を避ければ、棚は軽く開かれた。 暗闇に、眩しい光が差し込む。反射的に、俺は顔を上げる事ができた。 光を背にしたザルイルが、棚の奥を覗き込む。 優しげな笑みを浮かべたザルイルの琥珀の瞳が、うずくまる俺をとらえてハッと色を変える。 ……俺……、どんな顔、してるんだっけ……。 「ヨウヘイ……」 心配そうな声と、俺へ真っ直ぐに伸ばされるふわふわの手。 それに縋り付きたいと思うのに、俺の体は震えるばかりで動かない。 「……ザル、イル、さ……っ」 やっと絞り出した自分の声は、細く掠れて、涙に濡れていた。

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