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 もちろん、フユにはあの壁を登るどころか、手前の高台に上がることすら無理だろう。しかしそれは、地上で生きる動物に空を飛べと言っているのと同じであり、人間に要求される能力ではない。反対に、大空で生きるはずの鳥が空を飛べないのなら、それは生きていけないことを意味する。  DNAレベルでの設計を経て、生み出されるバイオロイドたち。その身体能力は人間をはるかに凌駕する者である。しかしそれは、平均的でありさえすれば、とう条件が付く。  要求される最低限の能力すら持ち合わせていない場合、その者はどうなるのか。その末路をフユは少しだけ耳にしたことがある。 『行方不明』  全てのバイオロイドが政府当局に登録され、間接的な管理を受けるにもかかわらず、行方知れずになるバイオロイドの数は少なくないという。そして、いつの間にか登録から抹消されているのだそうだ。フユはそこに社会システムの闇を感じずにはいられない。 『この学校の理事長は、そんな闇に立ち向かおうとしているのか。それとも、本当にただお金稼ぎのためにやっているのか』  フユは、理事長に会ってみたいと思った。  と、目の前のスクリーンに、今まで表示されていなかった名前が表示される。そして、スタート地点には今までいなかったバイオロイドが立っていた。  背はフユと同じくらいだろうか。トレーニングウェアの上からでも、その体の線の細さが見て取れる。灰色の長い髪をかき上げ、そして振り返り、フユを見た。そのままじっと見続けている。 「ヘイゼル……向こうからもこちらが見えるんですね」  ヘイゼルはフユに何かを言おうとしていた。それがどういう内容なのか、フユには何となく察しが付く。 「いや、このスクリーンはマジックミラーになっていて、訓練室からこちら側は見えない」 「でも、ヘイゼルは」  トレーナーに早くスタートするよう声を掛けられているが、それを無視するように、ヘイゼルはフユを見続けている。 「見えているようだな。君の姿が」 「それもバイオロイドの能力ですか」 「いや、そんな能力は見たことも聞いたこともない」 「じゃあ、どうやって」 「それは私にも」  その口調に何か含むものを感じて、フユはファランヴェールを見た。ファランヴェールは、ヘイゼルの様子を鋭い目つきで観察している。  フユが視線をスクリーンに戻すと、まるでそれを確認したかのようにヘイゼルが前を向いた。そして走り始める。最初の跳躍で台の上に飛び乗ると、重力を感じさせないような動きで向こう側へふわりと飛び降りた。壁は、三回蹴っただけで上まで登ってしまう。その頂上から両足でジャンプすると、かなり離れたところにあるポールに取り付き、その周りをくるくると回りながら、下に降りた。そして灰色の髪をかき上げ、遠くからまたフユを見つめる。フユがかつて助けられたときに見たあの優雅な動きは、相変わらずのようだった。 「ヘイゼルはなぜこの班なのですか」 「能力ではなく、成績で班分けがされているからだ。今年に入ってすでに二回テストが行われているが、そのどちらも彼は懲罰室にいたのでね」  運動能力という点に関しては、第一八班の他のバイオロイドとは比べ物にならないようだ。いや、一人、イザヨ・クエル・ラウレという赤い髪のバイオロイドはヘイゼルといい勝負ができそうだが、ラウレはこのチャレンジを途中で止めてしまっている。 「なるほど」  フユは知らずの内にそう小さくつぶやいていた。  この第一八班は、能力とは別のところに問題のあるバイオロイドたちが集まってしまっているようだった。  その後も、バイオロイドのトレーニングは続けられた。様々な障害物を、その身一つでクリアしていくもので、野外活動のための訓練なのだろう。 「この時期だと、担当がまだついていないバイオロイドは四〇体ほどだ。『選抜会』でそれを選ぶことになっている。一年生はまず一体、それが一年間の実習の相手になる。もちろん、その先もだがね」  卒業までに二体のバイオロイドの担当をすることになる。フユはその仕組み自体は入学前から知っていたが、担当するバイオロイドをどう決めるのかは何となくしか分かっていなかった。 「なるほど」  フユはまた、小さくつぶやいた。

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