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「我々の祖先は、約二百年前、このロス星系へと移住してきました。太陽系からは一〇光年の距離にあります。当時はまだ超光速宇宙船が開発されて間もないころであり、この惑星ネオアースに到着するまでに三年の月日を要しました。今では三日で来られるのですから、考えられないことですね」  化粧を厚く塗ったスーツ姿の女性が、スクリーンに映し出されている映像をレーザーポインタで指し示している。宇宙を極方向から俯瞰した図には、いくつかの光点が示されているが、その一つが太陽系であり、別の一つがロス星系だ。そのロス星系がクローズアップされる。 「ネオアースは赤色矮星ロスを主星としていますが、その距離の近さから我々が住んでいる『居住可能ハビタブルゾーン』以外は過酷な環境下にあります。そしてハビタブルゾーンさえも定期的な自然災害に見舞われるため、救助用バイオロイド『エイダー』の活動は、この星には欠かせないものとなっています」  フユはその説明を聞いて、地学の授業というよりもロス星系の観光ガイドのようだと思った。教室の中には十二人の生徒がいたが、その内の三人は大胆にも机に突っ伏し、制服であるブレザーの袖を涎で濡らしている。  この学校で行われている授業は、フユの学力と比べて明らかに低く、教師の話す内容はフユが知っていることばかりだ。しかしフユは、寝ることも内職をすることもなく、大人しく授業を聴いていた。  もちろん、授業態度も成績評価の対象になるというのが主な理由ではあるが、それ以上に、今はどんな音でも聞こえるだけで楽しく思えた。フユはこの半年ほど、音の無い世界で暮らしていたのだ。  耳に掛かっていたミディアムボブの髪を、左手でそっとかき上げた。光沢のある栗毛の髪は、死んだ母親に似ている。くっきりとした二重の目と、少し丸みのある顔もそうだ。母親は自分に似た息子を、いつも目を細めて見つめていたが、もう彼女の笑顔をフユが見ることは無い。いや、鏡を見れば自分の顔に母の面影を見ることはできるが、それが故に、フユは鏡で自分の顔を見るのが嫌になっていた。  と、授業終了のチャイムが鳴った。まだ昼過ぎではあったが、この日の授業はこれで終わりである。起きていた生徒はもちろんのこと、寝ていた生徒もまるでそれが目覚ましのベルであったかのように目を覚まし、急ぎ足で授業の終わった教室から出ていった。  最後の生徒が教室を出ていくのと入れ替わりに、少し背の高い人物が入ってきた。手入れの行き届いた白い髪の毛が頭の後ろで束ねられていて、腰まで届くほどに長くまっすぐに垂れている。中央で分けられた前髪が両耳にかけられているが、こめかみから垂れ下がる髪との間から後方へと細く伸びる耳は、途中で二股に分かれている。人間ではない。それはバイオロイドたる証だった。  少し切れ長の目にはどこか悲し気な光が宿っている。 『この人は、色々なものを見てきたんだな』  フユは、ファランヴェールの目の奥にある暗赤色の瞳を見て、そう思った。バイオロイドを間近で見るのは二回目だが、ほとんど人間と変わらない姿に、フユはどうしても『人』だと思ってしまう。しかしそれは、この学校、ひいてはバイオロイドを指揮する職を目指す者にとっては、良くないとされる考えだ。  まだ座席に着いたままのフユを、その人物は優しげな表情で見つめている。ムーンストーン色のマントコートの胸には、左右一組のボタンが縦に三列に並び、その下でベルトが巻かれていた。マントコートの裾の下からは膝から下が黒いパンツに包まれて伸びており、足には厳めしい印象を受ける黒いブーツが履かれている。 「初めまして、リオンディ君。私は主席エイダーのレ・ディユ・ファランヴェールだ。授業はどうだったかな」  その人物は、フユの目の前に来ると、高く透き通ってはいるが威厳に満ちた声でフユに話しかけた。フユを見るその顔は、男性のようでも女性のようでもある。 『綺麗な人だ』  フユは率直な感想を胸に抱いた。例えそれが、DNAという設計図から人間の手によって作られたものだとしても。  バイオロイドたちは総じて、中性的な容姿をしている。それは偶然ではない。人為的にそうされているのだ。それでも一応の性別がある。この学校にいるバイオロイドはみな男性型だった。 「初めまして、ファランヴェールさん。ええ、大丈夫でした」  フユの答えに、ファランヴェールが口元に指を当て、軽く笑う。 「大丈夫、か。というより、簡単すぎてつまらなかったのでは」 「そんなことは無いです。今は、誰かの話を聞くだけで楽しいですから」  フユは席に座ったまま、目の前のバイオロイドに笑みを返した。 「ふむ」  ファランヴェールが少し驚いた表情を見せる。しかしすぐに、穏やかな表情に戻った。
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