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 ポーターの中、火花を散らす二体のバイオロイドのにらみ合いは、しかし教官のエタンダールが体を割り込ませることであっけなく幕が引かれた。  バイオロイドにとって人間は『傷つけてはいけない存在』である。だからバイオロイド同士の争いを止めるのに、人間自らを『仕切り』にするのは効果の高い行動であるのだが、頭ではわかっていても勇気が必要な行動である。 「らしくないな、ファランヴェール」  そのエタンダールの言葉には、皮肉めいたニュアンスは含まれていない。ファランヴェールは一拍置いた後、「申し訳ありません」と小さくつぶやいた。  ただ、焦りだけが心の中で膨らんでいく。ファランヴェールはそれを制御することができなかった。 「フユを探しに行きます」  そう言ってポーターを出ようとしたところて、後ろからエンゲージが声を掛ける。 「ヘイゼルがまた現れたよ」  ファランヴェールの足が止まる。振り向いて、そしてエンゲージに向けたファランヴェールの目を見て、レイリスが軽い悲鳴を上げた。 「それがどこか、教えてもらえるだろうか」 「PN3Q25、そこからN143方向へまっすぐに走ってるようだね。さっきヘイゼルが消えた場所とは全く違って、クエンレンの方から――」 「礼を言う」  ファランヴェールは、エンゲージの言葉を最後まで聞くことなく、ポーターを飛び出した。  エンゲージの言おうとしたことはすぐに分かった。つまり、  ファランヴェールの危惧した通り、としか言いようがない。きっと最初にエンゲージが感知した『ヘイゼル』は、ヘイゼルではないのだろう。そいつがフユを襲った可能性がある。  果たしてエンゲージがそのこと、つまりヘイゼルには『偽物』がいるということを知っているのかどうか、それは分からない。  いや、ファランヴェールにとってはそのようなことはもはやどうでもいいことである。フユを、フユを助けなければならない。  新たに現れた『ヘイゼル』を追う方向へと走りながら、ファランヴェールは口惜しさに唇をかんだ。  エンゲージには、どこにどんなバイオロイドがいるのか分かる。そしていま、ある方向へ向けて真っすぐに走っているだろうヘイゼルには、きっとフユの居場所が『見えて』いるのだろう。  しかしファランヴェールには、そのような『特殊能力』はない。第三世代のバイオロイドは皆が皆、そのような何らかの特殊な能力を持っていると言われている。それが役に立つものなのかそうでないのかという問題はあるにせよ、ファランヴェールにはそもそもそのような能力は無いのだ。 「私ではマスターを守れないのでしょうか。あの時のように、また目の前で、マスターを」  マントコートの下で風圧を受けて波打つワンピース――それは艶のある真っ白なものである。しかしファランヴェールには、それがどす黒く血塗られたものにしか見えていない。  かつてファランヴェールがマスターと呼んでいた男、ミルヴィニー・ミグランの最期を、この服で見届けた。それ以来、この服に袖を通すことはなかった。  それから数十年。フユとの初めての出動が、ファランヴェールを縛っていた『呪縛』を解き放つものだと、そう思えたことに少し舞い上がっていたのかもしれない。  呪われた服を着た自分が、何も能力を持たないがゆえに、再びマスターを危険にさらしている。離れるべきではなかった。あの時のように―― 「もう二度と、貴方の傍から離れません。だから、無事でいてくださいマスター……貴方を愛しています」  林の中を突っ切り、エンゲージが言っていた方向に進路を向ける。  と―― 「いた」  ファランヴェールは、自分の右前方に、障害物をなぎ倒しながら走る物体を視認した。
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