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『スタンバイ』  インカムから、ヘイゼルの圧縮暗号が聞こえてくる。つれてファランヴェールの『スタンバイ』も聞こえてきた。 「その場で待機」  フユはその命令を、二種類の圧縮暗号で発する。  一秒を争う現場では、一々どのバイオロイドに命令するか、名前を呼ぶことはない。その代わりに、そのバイオロイド専用の圧縮暗号を使う。  ヘイゼルに命令したければヘイゼル専用の圧縮暗号を、ファランヴェールに命令したければファランヴェール専用のそれを、といった具合である。  それゆえ、コンダクターに求められるのは情報分析能力だけではなく、同等かそれ以上に言語能力であると言える。  通常、一人のコンダクターには三体のエイダーが付く。多いと、六体同時に指揮する者もいる。  だから、二体同時にというのはまだ序の口と言えるが、ヘイゼルとファランヴェールの関係を思うと、フユは早くもその大変さを感じていた。 ――今、二人はどういう状態でいるのだろう。  そのようなことを報告させるのは躊躇われる。その気持ちを軽く唇をかんで我慢し、フユは視線を前へと向けた。  エアポーターの室内に設置してあるスクリーンには、上空に飛ばしている無人機からの映像やデータが表示されている。ただ、現場から離れたところにいるため、さほど詳しいものとは言えなかった。さらに時折、大きなノイズが入る。 「今夜は宇宙線の影響が強いようだ。これが限界だな」  教官のエタンダールが、別に残念そうにも思えない口調でそうつぶやいた。  コンダクター用の座席には、カルディナとクールーンが座っている。訓練で一通り習ってはいたが、実際のものの操作方法の確認をしているのだ。  フユは先にそれをし終えていた。今は二人の操作を見届ける形になっている。カルディナは難しい顔をして。クールーンは相変わらず自信無げな素振りをしながら。  モニターにはバイオロイドたちの位置情報が細かく表示されているが、クエンレン救助隊のエイダー達はまだ火災現場の建物に入っていないようだ。シティから来た消火隊も、いまだ燃え続けている建物の傍に位置している。  きっと、今まさに消火作業が行われているのだろう。バイオロイドの肉体は合成タンパクでできており、人間よりも耐火性能は高い。しかし、さすがに燃え盛る火の中を平気で活動できるわけではないのだ。  ある程度火の勢いが弱まれば、要救助者を探すためにエイダーが突入する。その突入のタイミングは、コンダクターに任されている。  フユはいずれ、このような現場にヘイゼルを突入させなければならない。  遅ければ、要救助者の命を危険にさらす。しかし、早すぎればヘイゼルの命が危険にさらされる。  それを考えたとき、フユは自分の心が激しく揺れ動くのを感じた。 ――それをすることが出来るのだろうか。でも。  しなければならない。それがコンダクターなのだ。  と、エタンダールがインカムに手をやる。現場に入っている隊と交信しているようで、一言「了解」と応答した後、フユたちの方を向いた。 「脱酸素消火剤を使うらしい。バイオロイドを風上に退避させろ」  その指示を聞いて、フユはすぐに二体のパートナーへと退避の指示を送る。ファランヴェールからはすぐに『コピー』という返事が返ってきたが、ヘイゼルはそうではなかった。 『なぜ? ここは建物から随分離れているよ』 「風上へ。早く」  判断は一瞬を争う。命令に対してその理由を聞いてくるなどもっての外なのだが、ヘイゼルにはまだそういう意識はないようだ。 ――また、お小言のネタが増えた。  フユの口から、自然とため息が漏れる。  と、突然、室内にクールーンの頼りなげな声が響いた。 「建物の中にバイオロイドがまだ三体生存しているそうです。教官、消火剤使用の中止を」  意外なところからの言葉に、エタンダールが怪訝な表情をクールーンに向ける。 「そのような情報は来ていない」 「エンゲージが」  クールーンの返事はただそれだけであったが、それを聞いたエタンダールの表情が、険しいものへと変わった。
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