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 その閉じた目で何が似ていると分かるのだろうか。いや、それ以上に、なぜ自分のことを知っているのだろうか。  本来なら、フユの頭に浮かぶ疑問はそのようなもののはずだ。しかし今のフユにとって、そのような疑問は些細なものでしかない。  ずっと、あのシャンティホテルで両親が吹き飛ばされ、そして灰髪のバイオロイドに助けられてからずっと知りたいと思っていたことが、今まさに目の前にあった。 「父を、知っているのですか」  まるで見えているように、女性の顔は真っすぐフユの方を向いている。そのまま目を開ければ、瞼の裏にある瞳がフユの目を射抜くように現れるだろう。 「ええ、よく。でも貴方に会うのは初めてです」  そう答えた女性の瞼を透視するかのように、フユは女性の目を見つめた。 「教えてもらえませんか。父が何を、どんな研究をしていたのか」  突然、女性が口元を動かし、「ふふふ」という声を漏らした。しかしフユにはその理由が分からない。 「な、何か変なことを聞きましたか」 「ごめんなさい、私の予測が外れてしまったので、つい。でも、笑ったのはいつ以来でしょう。私にもこのような感情があったのですね」  さほど年齢を重ねているようには見えないのに、女性はまるで遠い昔を懐かしむように、そう言葉で詫びた。  笑う時も、詫びる時も、この女性は体を一切動かしていない。ただ口元が動くだけである。だからフユには自分が聴いている音がこの女性から発せられた音波であると認識できるのだか、そうでなければその声がどこから聞こえているのか、その発生源を探しただろう。  そう、この女性の首から下はまるで凍ったかのように動いていない。呼吸による微かな運動すら感じられないのだ。たしかにゆったりとしたローブを身に纏ってはいるが、それでも微かな気配すら感じないのは極めて不自然で――人間でも、バイオロイドでもない『何か』であるように見えた。 「私が何者なのか分からないのに、貴方は真っ先にそんなことを聞く。それほどにお父さんのことが知りたいのですか、フユ・リオンディ」 「はい。でも、誰なのか聞いたところで僕には分からないと、貴女は言いました。だからそれを聞いても無駄だとは思います。それに父との関係が分かれば、貴女の正体もある程度わかると思います」 「そう」  女性が再び、笑い声を漏らす。そして初めて、その女性が動いた。座った状態から反動もつけず、曲げた脚を伸ばし身を上げる。まるで重力を無視するような挙動であり、ローブを覆うように流れた長い銀色の髪の有機的な動きとは対照的だった。  下腹部で組んだ手はそのままに、背をまっすぐに伸ばし、フユの前に立つ。フユよりも頭一つ高い。ローブの胸の部分にできた二つの山が、なるほど彼女が『女性型』であることを物語っている。  人間であるようには感じられない。しかし立ち上がる際に長い髪の間から少し覗いた耳は、バイオロイドのものではなかった。 「貴方には命の危険が迫っているかもしれないのに、随分と落ち着いているのですね」 「僕を襲った相手が僕を殺すつもりだったのなら、もうすでに僕は死んでいるでしょう。でも生きてます」  少しだけあどけなさを含んだ声でフユはそう答えた。それを聞いて、女性の口元から笑みが消える。女性の手がゆっくりと上に上がり、フユの頬に添えられた。そして耳元で切りそろえられたミディアムストレートの栗毛色の髪を軽く撫でる。  その手の感触は人肌より冷たく、そして硬い。しかしその動きは、フユをいつくしんでいるようにも懐かしんでいるようにも思えた。 「そうですね。これ以上貴方を揶揄うのはやめましょうか。もっとも、あまり効果は無かったようですが」  そういうと女性はフユから手を離し、再び部屋の隅へと戻った。そこには部屋の色に溶け込むような白い無機質の立方体が置いてある。彼女はそれに座っていたのだ。 「座りますか。少し長くなるかもしれません」 「そうですね、でも座る場所が床しかないです」  フユはそう答えたが、女性が再び違和感のある挙動で立方体に座った瞬間、壁際、ちょうど女性と向き合うような位置で床がせり上がり、白い立方体が現れた。 「硬いかもしれませんが、それは許してください」  女性はフユに向けてではなく現れた立方体の方を向いている。促すような動作もない。フユはその立方体に近寄り、そして女性の方を向いて座った。女性よりも低い位置にあったものが、フユが座った瞬間にさらにせり上がる。  フユは閉じられたままの女性の目を少し見上げる格好で、足を宙に浮かせ、椅子の上に落ち着いた。 「まずは名を名乗りましょうか。私はカグヤ。カグヤ・コートライトと申します」  予想に反し、女性から告げられた名前は、フユにとって聞き覚えのあるものであった。 「コートライト……財団、ですか」  ネオアースで力を持つ財団はいくつかあるが、コートライト財団はそのうちの一つであり、バイオロイド研究はもちろん、金融や不動産開発も手掛けている。コートライト・ホテルはその財団の子会社が経営している。 「財団の運営には、私は関わっていません。私は貴方のお父さんと共に『ある研究』をしていました」 「パーソナル・インプリンティング」  思わずフユが聞き返す。カグヤと名乗った女性は、それを聞き、僅かに口元を動かした。
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