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「おい、フユ。今日はこれから研究のほうか?」  フユ・リオンディの姿を見つけたカルディナ・ロータスが、声を掛け近寄ってくる。手にはサンドウィッチと少し大きめの紙コップ。食堂を行き交う生徒をかき分け、フユの目の前の席に座ると、袋を開け、サンドウィッチを食べ始めた。 「しばらくは、そうかな」  バイオロイド解放戦線によるテロ事件の後、フユは対テロ課程所属のまま、バイオロイド管理部付の研究生となった。  もちろん、フユ本人の希望もあったのだが、なにより『元』管理部部長のゲルテ・ウォーレスが学校を去る時に、たっての願いとしてキャノップに働きかけた結果だと言える。  事件はと言えば、行政長官とバイオロイド解放戦線の繋がりがメディアを通じて公表されるやいなや、治安警察の反行政長官派が行動を起こし、動乱を起こしたバイオロイドたちを鎮圧するとともに、親行政長官派をも抑え込んでしまった。  ただその後、反行政長官派の筆頭であった行政副長官のスキャンダルも公表され、結局、長官、副長官の双方が失脚することとなった。  今、政治は全くの空白となっているが、近々、長官を選ぶ選挙が行われる予定だ。世間はその話でもちきりだった。  ウォーレスは、副長官の失脚に巻き込まれる形で、逮捕、収監された。ウォーレスが行っていた様々な違法行為が「学校とは無関係のウォーレスの独断によるもの」として片づけられたのは、一つはウォーレスが司法取引に応じたから、もう一つはキャノップの『政治力』が発揮されたから――ということは、表には出なかった事実である。  今のところ、元の副部長がクエンレンのバイオロイド管理部部長代理になっている。 「まあ、こっちは今、通常活動しかしてないしな。エタンダール教官も、しばらくテロ事件は起きないだろうって」  戒厳令は解かれたが、新しい行政長官が決まるまでの間、治安警察による特別治安維持活動が行われている。犯罪が起こりにくい状況の中、各地の救助隊への出動要請は事故関係がほとんどになっていた。 「もうこっちに来なくてもいいよね」  いつの間にか、いつもの通り、クールーン・ウェイがカルディナの横に座る。そして、手に持っていたホットドックを一口かじった。 「来なくていいのは、お前の方だ」  カルディナが不愉快さを隠しもせずに、クールーンを睨む。しかしクール―ンはいつもの通り、それを気にすることはなかった。  フユが二人を見て、くすっと笑う。その反応には、カルディナは極めて不服そうである。 「でも、研究と救助活動の兼務なんかよくやるな。遊ぶ暇なんかないだろ」 「別に、遊びたいとは思わないかなぁ」 「バイオロイドをいじるのがリオンディの遊び。いい趣味してる」  カルディナとフユのやり取りにクールーンが毒舌をはさむのが、いつもの三人の会話である。 「それに僕がいなくたって、『英雄』が二人もいるしね」  バイオロイド管理局の『出動禁止命令』をキャノップは無視し、救助隊に活動を続けさせた。  また、残っていた救助隊員とカルディナたちを、キュリロイという発電プラントに派遣したのだが、そこを襲撃しようとした三体のバイオロイドはイザヨ・クエル・エンゲージによってことごとく発見され、そしてエンゲージとラウレでその三体全てを『始末』してしまった。  結局、解放戦線によって襲撃された発電プラントは三か所だったのだが、破壊を未然に防げたのはキュリロイの発電プラントだけだったこともあり、メディアはこのことを『英雄譚』として大々的に報じた。  その裏には、バイオロイド賛成派による『汚名返上キャンペーン』という思惑があったのだが、特に、『英雄』の中でも最年少であった二人のコンダクター候補生カルディナとクール―ンと、彼らが指揮した二体の赤毛のバイオロイドは、ワイドショーの格好の『ネタ』にされていた。 「やめろって」  ただ、その二体のバイオロイドのDNAデザイナーであるイザヨ・クレアは、全くマスコミの前には出てこず、マスコミもその消息を掴めないことから、ちょっとした「ミステリー」として扱われている。  今は少し落ち着いていたが、行政長官を選ぶ選挙を控え、また報道が増えてきているようだ。 「それにしても、理事長が立候補するとは」  しかしなんといっても、学校中を驚かせた最たるものが、キャノップ・ムシカの立候補だった。 「当選したら、学校の次の理事長はデルソーレらしい。お笑い」 「事務能力はピカ一だから大丈夫だって、理事長は言ってたよ」 「これからどうなるだろうな」 「世論がどう考えているか、この選挙で分かるということだね。でも、世論調査の結果は悪くないみたい。『英雄』のおかげじゃないかな」 「だから、やめろって」  キャノップは自らがバイオロイド賛成派に担がれることを選んだのだろう。キャノップが当選すれば、フユの目指した世界へと、ネオアースは向かう可能性が高くなるとも言えた。 「そういや、フユ。お前、次の休みに俺んち来るらしいな」 「うん。セフィにお礼を言いにね」  フユには、カルディナの姉セフィシエ・ロータスにあることを頼んでいた。 「セ、セフィ? なんだよ、それ。俺は、お前を、『お兄さん』とか呼ばねえぞ」  しかしカルディナは、何かを誤解したらしい。いや、実際のところ、セフィシエはフユに対して頻繁にアプローチをしており、あながち誤解とも言えなかったのだが。 「へっ? いやっ、そうじゃなくて」 「君たち、兄弟になるの。それ爆笑」  クールーンの口元がいびつにゆがむ。 「俺は反対だ!」 「そういうのじゃ、ないから!」  フユは結局、その『誤解』を解くことができなかった。 ※ ※ 「なに見てるの、フユ」  自室の情報端末と向き合っていたフユの後ろから、ヘイゼルが抱き着く。そしてモニターを覗き込んだが、数字と文字の羅列が映っているだけで、ヘイゼルにはそれが何なのか理解できない。 「ヘイゼルのドレスの裏地の模様や網目をデータ化したものだよ」  それは、フユがセフィシエに頼んで作ってもらったものだ。 「フユ、服のデザイナーにでもなるの?」 「違うよ。これね、パーソナルイン・プリンティングに関するデータになってる」  フユの言葉に、しかしヘイゼルはきょとんとした顔を見せた。 「てっきり、お父さんが残した写真にデータがあるものと思ってたんだけど、そうじゃなかった。まさか、お父さん、ヘイゼルのドレスにこんな情報を『隠して』たなんて」  ヘイゼルとの蜜事――その後、たまたまヘイゼルのドレスの裏地を見たとき、フユの頭にふと何かが舞い降りたのだ。  その『感』に従い、セフィシエにお願いして作ってもらったデータ。それは一種の暗号になっていはいたが、それを解読していくうちに、それがパーソナルインプリンティングのデータであることがわかったのだ。 「ふーん」  ただ、ヘイゼルにはあまり興味がなさそうだ。 「父さんが作ったPIはDNA情報だけじゃ完全には発現しないようになってる。X染色体が発生時において、その構造を変化させ……」  もともとは、ヘイゼルのPIを『除去』するために知りたかった情報だった。  フユが説明を続けるのを、ヘイゼルが唇でその口をふさぎ、無理やり中断させる。 「そんなこと、どうでもいいよ」 「どうでもよくない。ヘイゼルの自我は今、このPIが支えているんだ。何かあったときに」  なおもフユが何かを言おうとするのを、ヘイゼルがまた唇でふさいだ。ヘイゼルが、その態勢のままフユの服を脱がし始める。 「いや、ヘイゼル、ファルがもうすぐ帰ってくるよ」 「別にいいでしょ。今更」 「あのね」  ネオアースがこれからどういう方向に進むのか、それはまだ未知数だ。こうやって人間とバイオロイドが愛し合うことが『合法』になるのかも、まだ予測できない。  ただ一つフユに言えることは、このバイオロイドとどこまでも共に歩んでいこう、ということだった。 「何があっても、ボクは、ボク。ボクはフォーワル・ティア・ヘイゼル。フユのガーディアン」  そう言うとヘイゼルは幸せそうに微笑み、ドレスを脱ぎ捨て、フユと体を合わせた。
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