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 キャノップの言葉に、ファランヴェールは明らかに動揺していた。しかしそれは、考えてもみなかった可能性を指摘されたからではなく、その可能性を考えてもみなかった自分に気が付いたから――キャノップにはそう見えた。 「そ、そんなわけは。ヘイゼルはフユの命を助けています。二度までも」 「そうだ。しかしヘイゼルが彼を危険に陥れる行動を無意識に行っているとすればどうだ。意識が戻れば、ヘイゼルはフユ・リオンディを助ける行動をとる。矛盾はない」 「そのようなこと、どうやって」  さらに反論しようとしたファランヴェールを、キャノップは手を上げ制止する。 「あくまで、『可能性』だ。それを示す証拠はない。他にも考えようと思えばいくらでも可能性はある。確かに、フユ・リオンディが二度もテロに巻き込まれたのを『偶然』と言うには不可解な点が多い。しかし、彼が『テロ組織』の標的となっていると決めつけ、彼を外部からの侵入者から守るためだけに全力を挙げるというのは、それはそれで危険だということだ」  白髪のバイオロイドを見るキャノップの目には、いつにもまして鋭さと厳しさがある。それはファランヴェールをたしなめる意味であるのだが、それでも、ファランヴェールは納得していない表情を見せた。 「ファランヴェール、ミグラン社長が命を落としたのは君のせいじゃない。だから、フユ・リオンディにミグラン社長を重ねるな。彼はミグラン社長ではない。ヘイゼルに自分を重ねるな。ヘイゼルは君ではない。判断を誤るぞ」 「そうではありません。カーミットという男は、フユに『パーソナル・インプリンティング《I》』の話をしていました。管理局は、フユとヘイゼルに目をつけたのではないですか。それはつまり、バイオロイド解放戦線にもあの二人の情報が知られているということです」  行政府の機関であるはずのバイオロイド管理局にはスパイがいる。ファランヴェールはそれを前提に話したが、それは二人の間の共通認識だ。  ファランヴェールの言葉に驚く様子もなく、キャノップは腕を組み、チェアの背もたれに体を預けた。 「それが、フユ・リオンディが狙われている理由だというのか」 「はい」 「しかしな、ファランヴェール」  そして、ふむと一つ息を吐く。 「ヘイゼルのDNAチェックに異常はなかった。ヘイゼルにPIが組み込まれているというのは、根拠のない推測にすぎん。アキト・リオンディがPIの開発に関与していたというのも、根も葉もない噂だ。実際、管理局は何の証拠も見つけられていない」 「キャノップ。PIがどういうものか、いや、そもそも、もうすでに開発されているのかいないのかすら誰も知らない状況で、どうやって『チェックに異常が無い』と判断するのですか。ヘイゼルの行動は、どうみてもバイオロイドの思考パターンに反しています」 「つまり、PIがもうすでに開発されていて、それがヘイゼルに組み込まれている、と言いたいのか」  キャノップの問いかけに、ファランヴェールがうなずく。 「ヘイゼルの行動の『標的』はフユです。フユを探し、追いかけ、その命を守ろうとしている。まるでフユが自分の『主』であるかのように」 「たとえそうだとして、それがなぜフユ・リオンディがテロ組織のターゲットになることにつながるというのだ。彼の父親の所有物はほぼ全て管理局が押さえてしまっている。もし父親がPI開発に携わっていたとしても、彼本人は無関係だ。彼が狙われる理由など」 「『標的』がいなくなった時、PIを組み込まれたバイオロイドは、どうなるのでしょうか」  キャノップを遮るように、ファランヴェールが重ねた言葉。その『可能性』に、キャノップは驚きをもってファランヴェールを見つめた。  このバイオロイドは、キャノップが思いもしなかったことを考えている。単に、かつての自分に重ね合わせるがゆえの悔恨の念に突き動かされているだけではないようだ。 「呪縛が解かれ、自由を得るのではないか」 「それだけなら、いいのですが」  かつての自分をまた思い出したのだろうか。ファランヴェールが、その端麗な顔を曇らせる。  このバイオロイドは、ミグラン社長と出会った後、彼だけを『主』と慕うように行動し、そして彼が亡くなってからしばらくは、まるで抜け殻になったように意志も感情も持たなくなってしまっていた。 「私は貴方に助けられました」 「そうだったな。しかし、君にPIが組み込まれているはずがない。君は『旧式』だ」  ファランヴェールが生み出された時代には、バイオロイドをある個人に対して忠誠を誓わせるような技術――パーソナル・インプリンティングのような技術は、その名前が風に乗って聞こえてくることすらなかったのだ。 「そうでしょうか」 「もちろんだとも」 「そのものではないとしても、私にもPIのようなものが組み込まれていたのではないですか。『主』を失うと自我を失い、別の『主』を探し彷徨う。私はミグランや貴方に出会えたからよかった。しかし、もし次の『主』が、例えばテロ組織だったとしたら」  テロ組織に忠実な『兵器』が誕生する。そう―― 「あの実行犯たちのように、か」  ファランヴェールは、キャノップの言葉に黙ってうなずいた。  キャノップが目をつむり、顔だけを天井に向けた。それは、様々なことに思いを馳せる時の彼の癖である。  確かにそう考えれば、説明のつくことが多い。  なぜ、あの実行犯たちに人間を死に至らしめるような行為ができたのか――彼らもPI技術の犠牲者だったのかもしれない。  なぜ、ヘイゼルはフユ・リオンディに付き従おうとするのか――PIが組み込まれているから。ヘイゼルのDNAデザイナーは、誰も姿を見たこともない謎の人物だ。  そしてなぜ、テロ組織がフユ・リオンディを狙うのか――新たな『兵器』を手に入れようとしているからだろうか。 「話は分かった。しかし、どれも仮説にすぎないことばかりだ。どのみち、試験の間、訓練験場の警備は行う。彼ら二人は、君に任す。それ以上の警備は物理的に無理だ。それで何とかしてくれ」  キャノップは体を起こすと、デスクに片肘をつき、ファランヴェールを困ったような顔で見つめた。 「分かりました」  ファランヴェールが頭を下げる。しかしその顔は、憂いを帯びたままだった。
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