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 支度をした後、フユは少し迷ったが、早めにコンドミニアムを出て、バイオロイド管理棟までヘイゼルを迎えに行った。  先にブリーフィングルームに行ってヘイゼルが来るのを待っていても良かったのだが、フユにそうさせたのは、カルディナの『実技試験では皆がフユを狙ってくるから気をつけろ』という忠告と、そしてクールーンの言葉だった。  余りクラスメイトとは一緒にいたくない……もちろん、そのような思いがあるのは事実だ。しかしそれ以上、今のフユはヘイゼルとファランヴェール以外のバイオロイドの傍にいたくなかった。すでにバイオロイドを連れてブリーフィングルームに来ている生徒もいるはずである。  しかし、というべきだろうか。早めに迎えに行ったというのに、ヘイゼルが黒いドレスでフユの前に姿を現したのは時間ギリギリになった頃であり、それを待つフユはやきもきする羽目になってしまった。 「フユ!」  笑顔でフユの傍に駆け寄ってくるヘイゼルに、フユは「遅い!」と怒ってみせる。しかしヘイゼルは意に介していないようだ。 「ど、どうかな」  はにかみつつ、フユの目の前でくるりと体を回した。ドレスの裾がふわっと浮き上がり、ヘイゼルの白い脚が見え隠れする。 「似合ってるよ」  フユはそんなヘイゼルの姿を眩しそうに見つめる。フユの答えに、ヘイゼルは満足そうに微笑んだ。  訓練棟まで二人で走り、ブリーフィングルームへと入る。大した距離ではなかったが、体力のないフユはもう息が上がっていた。  肩で息をしながら、ルームを見回す。フユとヘイゼル以外の全員がもうすでに席についていたが、その全員がフユを見ていた。  敵意……それしか感じられない。唯一の例外はカルディナであり、彼だけはすぐに視線を前へと戻す。ヘイゼルが、きゅっとフユの手を握りしめた。  ヘイゼルには、この部屋に充満する『声』が聞こえているのだろう。  初めての共同訓練の時は、ヘイゼルは自分のドレス姿に向けられた好奇の目に戸惑っていた。しかし今は、眉を寄せ、フユを見ている。心配そうに。 「大丈夫。席に着こう」  フユはそう言うと、ヘイゼルの手を引き、自分のブースに座った。 ※ 「念のため、クエル・タイプのバイオロイドを二体、学校周辺の警備に当たらせている。君もいる。だからもうこれ以上、手は回せない。三小隊のうち、二つは今出動中なのだよ」  理事長室に、キャノップの言い訳めいた口調が響き渡る。その前では、プレジデントデスクに両手をついて、ファランヴェールが何かを訴えているようだ。 「それでは不十分です。何かあってからでは」  真剣な表情のファランヴェールを、キャノップが困った顔をしながら制止した。 「犯行予告でも出ているのなら別だが、フユ・リオンディが標的になっているというのは、あくまでバイオロイド管理局の連中が言っているに過ぎない。第一、フユ・リオンディがバイオロイド解放戦線のテロの標的になる理由がないだろう」  地下街での事件。実行犯のバイオロイドの行動は既に監視カメラの解析で明らかになっていた。  そのバイオロイドは、地上の入り口から爆破現場まで直行している。そこにたまたまフユがいて、そして爆破に巻き込まれた……データだけを見れば、誰もがそう思うはずだ。フユの供述が無ければ、それで済まされてしまう事件だった。  フユは、治安警察にも学校にも、あの日の行動の全てを報告している。道案内ロボットに聞いて進んだ道が、まるで爆破時間に合わせるように現場に誘い込むかのようなものだったのだ。 「理由がないのではなく、分からないだけです。現実にフユが狙われたのですよ」  警備を強化するようにというファランヴェールの訴えは、まるでキャノップを責めるような熱を帯びている。  しかし、理事長という立場上、確かな証拠もないままいたずらに生徒やスタッフの恐怖心をあおるわけにはいかないというのが、キャノップの考えだ。 「落ち着け、ファランヴェール。考えてもみろ。フユ・リオンディの話では、あの日、あの時間にガランダ・シティの地下街にいたのは行動予定が変わったゆえの『偶然』だったそうじゃないか。ここの生徒の一人と『偶然』出会い、『偶然』一緒に昼食をとった。脱走したヘイゼルが彼を見つけたのは偶然でないとしても、彼が地下街で迷い、道案内ロボットに道を聞くという行動までテロ組織に予測されていたというのか?」  そこでキャノップは言葉を止める。そしてファランヴェールの様子をじっと見つめた。  ファランヴェールは、明らかに冷静さを失っている。  かつてファランヴェールは人間の感情が理解できないバイオロイドだった。目の前で人間が死んでも、それを悲しむ人間を見ても、まるで機械のように振る舞うだけの人形。  しかし、二人にとって大切だった人物――キャノップのかつての雇い主であり、そして兄のような存在。ファランヴェールにとっては、自分の全てだったと言えるだろう――ミルヴィニー・ミグランを災害で失くして以降、ファランヴェールは感情を理解するようになっている。  ただ、これほど冷静さを失っているファランヴェールをキャノップは見たことが無かった。  フユ・リオンディとヘイゼルに、かつてのミルヴィニー・ミグランと自分の姿を投影しているのかもしれない。 「フユの行動が予測されていた……そうとしか思えません」 「そうか。ファランヴェールはそう考えるか」 「はい」  ファランヴェールの表情に浮かんでいた焦燥が少し和らぎ、安堵が現れる。  自分の訴えをキャノップが聞き入れてくれる、そう判断したのだろう。白く長い髪を揺らし、直立不動の姿勢へと戻った。  しかし、先入観は危険である。それをキャノップは痛いほど理解していた。あらゆる可能性を考えるべきであるのに、今のファランヴェールにはその冷静さが欠けている。  だからそれを、教えてやらねばならない。 「しかしそんなことができるのは、未来を予見できる超能力者か、さもなくば、フユ・リオンディにそうするよう仕向けた者がいたかのどちらかだろう」 「仕向けた者?」 「そうだ。フユをあの現場へと導いた者がいるなら、それが可能だろうな」  キャノップの言葉。それに対し、ファランヴェールは理解できないという表情を向けた。  「そのような者、あの現場には」 「いるではないか。彼に自分を追いかけるよう仕向け、道に迷わせ、道案内ロボットに道を聞かなければならない状況を作り、そしてなぜか都合よく爆破の瞬間に居合わせた者が」  キャノップはその名前までは口にしない。しかしそれでも、十分に伝わっただろう。 「ヘイゼル……そんな、ありえない」  呟くような言葉の後、理事長室を沈黙が支配する。ファランヴェールの視線は、すがるものを探すように泳いでいた。
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