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 防音と防電磁波の壁に囲まれた地下の寝室で、フユはベッドにも入らず、膝を抱えて壁際に座っていた。  どうやって学校まで戻って来たのか覚えていない。ただ、ファランヴェールに手を引かれるままに、気が付くと学校の救護室で診察を受けていた。ヘイゼルが守ってくれたからだろう、怪我らしき怪我はしていない。  部屋でゆっくり休むように。医者の指示はそれだけだった。  それから自分のコンドミニアムに戻ってきたが、何も食べる気は起きず、シャワーを浴びただけで、そのままベッドに横になった。  しかし、瞳を閉じると、あのバイオロイドの姿が浮かんでくる。マントを広げ、虚ろな目でフユを見つめる姿。その恐怖に、フユはベッドで寝ていられなくなったのだ。  あのバイオロイドは、灰色の髪をしていた。その特徴を持つのは、ティア・タイプ――類型不確定型。基本となる三つの類型、クエル、レス、セル、そのどれであるかがまだ不確定なバイオロイド。 (ヘイゼルと同じだ……)  寒くなったような気がして、フユは自分で自分の体を抱きしめる。  とうとうヘイゼルは戻ってこなかった。思い出せば思い出すほど、自分がヘイゼルにした仕打ちに後悔が押し寄せる。  ヘイゼルは再び身を挺してフユを守ってくれたのだ。しかし自分はヘイゼルに何をしてあげただろうか。自分の言うことを聞かないことに苛立ち、あろうことかその頬を打ってしまった。  謝らなければ。  そうは思うものの、しかしフユには、今ヘイゼルに会って平常心でいられる自信がない。他のタイプのバイオロイドを見てすら恐怖を感じてしまうのに、ましてやヘイゼルの、あの灰色の髪を見ればどうなるか。  フユの目から涙がこぼれる。それが目を開けたままでいるが故なのか、それともストレスを和らげるための身体の防衛反応なのか、フユにも分からなかった。 「お母さん……お父さん……」  呼びかけても、フユに優しい言葉や道を開くような言葉を掛けてくれるはずの両親はもうこの世にはいない。その絶望感と虚無感がまたフユをさいなんでいく。 「ファランヴェール……」  フユの口から、自然とその名前が零れる。  自分を抱き寄せてくれたファランヴェールの身体が今はたまらなく恋しい。本当は、そのままずっと抱いていて欲しかった。  後ろで束ねられた、真っ白な長い髪。それは、ディユ・タイプという数十年以上前の古い型のバイオロイドの特徴であり、それが故に『骨董品』とも陰口をたたかれることもある。ファランヴェールが、他のバイオロイドとは少し異なっているのはそれが理由だった。  しかし、とフユは思う。もし自分が、ファランヴェールに対してすら『バイオロイドさ』を、そして恐怖を感じてしまったら?  ムーンストーン色のマントの下に、黒いブーツの中に、何も隠し持ってはいないと、誰が保証できる?  フユはそう考えること、そして閉じられた空間にいることに耐えられなくなった。緊急時にはシェルターの役割も果たすこの部屋が、今は逃げ場のない折のように思えてしまう。  フユは突然立ち上がると、全速力で階段を駆け上がり、扉を開け、屋上テラスへと出た。  頭上に広がる暗黒の夜空。散りばめられた星々を覆い隠さんばかりに、オーロラが揺れている。 『身体に悪いから、お家の中に入りましょ、ね、フユ』  母親の声が聞こえた。フユが子供の頃、オーロラを見上げたまま動かないでいると、いつもそう言って抱きしめ、家の中へと連れて帰ってくれたのだ。  また、フユの目から涙が零れる。フユの口から、再び母親の名が出ようとしたその時、テラスの隅でカタッという音がした。 「誰」  部屋着の胸を握りしめ、フユがその身を固くする。しかし手の震え、足の震えが止まらない。  中への入り口はすぐ後ろにある。そのまま中に入り、扉を閉めれば、フユは片時の安全を手に入れることができるだろう。しかし、手や足はおろか、全身の筋肉がフユの命令を聞こうとはしなかった。  目を見開き、ただ視線だけで、恐怖の源を探していく。そしてフユの視線が、ある一点で止まった。  テラスの隅に何かがいる。小さな、丸い物体。オーロラの光で淡く微かに照らされているものの、その光の変化が無ければ、闇に溶けてしまっていただろう。  丸い物体が動きを見せる。すると丸い物体の上に、もう一つ小さな丸い物体が現れた。その小さな丸い物体から、何か長いものが下へと伸びている。暗闇になれてきたフユの目が、それを髪の毛だと認識した。  フードの中から誰かがフユを見つめている。まるで闇を背負っているかのように。  「ヘイゼル……」

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