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 一瞬、ファランヴェールが何を言ったのか、フユには理解できなかった。  ファランヴェールは、すでにフユ付きのバイオロイドである。何事も無ければ――例えば、カルディナとラウレのようなことが無ければ――来年の選抜会で正式なパートナーになるだろう。  確かに、ヘイゼルはファランヴェールを嫌がっている。しかし、そもそも、ヘイゼルはどのバイオロイドとも合わないはずである。きっとヘイゼルは、フユを独占したいのだろうから。もちろん、それはフユが何とかすべきことなのだ。  これらのことは、ファランヴェールにも分かっているはずである。 「あなたは、もうすでに」  しかし、そこでフユは言葉を切った。ファランヴェールが言いたいのは、そういうことではないのだろう。  一体何が言いたいのか――  そう尋ねようとしたが、フユが言葉を発する前に、ファランヴェールがそれを遮った。 「そうだったな。すまない、忘れてくれ」  ファランヴェールがふっと微笑む。その微笑みにも、フユはどこか寂しさを感じてしまう。 「あの、一つ、質問をしてもいいですか」  リビングにL字型におかれたソファのそれぞれの辺に座るフユとファランヴェール。その距離は、手を伸ばせば届きそうなものである。  普段、学校で見るファランヴェールの姿は、孤高にして尊厳に満ちたものであり、どこか別世界、もしくは別の時代にいる存在のように思えていた。それはフユ付きになった後でも変わらない。  しかし今フユの目には、ファランヴェールが、まさにこの実際の距離にいる存在に見えている。それ程までに、今日のファランヴェールは、どこか無防備だった。 「ああ、構わない」 「学校が、イザヨ・クエル・ラウレをカルディナに、あなたを僕に付けたのはなぜですか。互いの性格を考えれば、カルディナとラウレが合わないのは、学校も初めからわかっていたでしょう。そして、ヘイゼルがあなたと合わないことも」  言葉を飲み込んでしまわないように、フユは思っていた全てを一気に吐き出した。フユの言葉を、ファランヴェールは黙って聞いている。 「逆であってもいいはずです。カルディナは理事長に直訴しに行ったのでしょう?」  ここでようやく、フユは言葉を切った。ファランヴェールの瞳を見つめ返し、じっと答えを待つ。  ファランヴェールが、ゆっくりと瞳を閉じた。 「……ああ」 「話は、どうなりました」 「……保留、ということになっている」 「なら、ラウレが僕と組み、あなたがカルディナと組むということも」 「それはない」  その言葉だけが、どこか鋭さを孕んでた。しかし、ファランヴェールは目を閉じたままでいる。  それを決定するのは、最終的には理事長であり、ファランヴェールではない。それなのにそこまで言い切るのは―― 「なぜ、ですか」  しかし、尋ねてから、フユは訊くべきでなかったと後悔した。再び姿を現したファランヴェールの瞳が、余りにも頼りなげに揺れている。  その瞳の上を、まつ毛が降りて瞼が閉ざされる。髪も、肌も、そしてまつ毛すら白い、純白のバイオロイド。その中で唯一、色のついたパーツ――暗赤色の瞳が再び現れた時には、その中にいつも通りの、孤高の尊厳が浮かんでいた。 「私が頼んだのだよ、理事長に」 「何を、ですか」  もちろん、それは分かりきっている。しかしフユは、そう訊き返さずにはいられなかった。 「私を君に……フユ・リオンディに付けてほしいと。それなら、私も現場に出られると、そう理事長に頼んだのだよ。この私が」 「あなたが、ですか」  そのことをフユは初めて耳にした。いや、もしかしたら、理事長以外誰も知らないことなのかもしれない。 「そうだ。職権の濫用だと、フユは思うかな」 「え、いえ、その」 「遠慮しなくてもいい。実際その通りなのだから。主席エイダーという地位を利用して、私は君のパートナーになろうとしているのだよ」  なぜという言葉を、フユは唾液とともに飲み込む。そして少し考え、その言葉をそのままファランヴェールにぶつけることにした。 「光栄には思います。でもなぜ、僕なのですか。なぜあなたは、これまで現場に出て無かったのですか」  その質問が来ることを、ファランヴェールは予測していたのだろう。軽く頷いた後、少しの時間も考えることなく、しかしゆっくりと口を開いた。 「これから私のことを『ファル』と呼んでくれるのなら、その理由を君に教えよう」 「ファル……ですか」 「ああ」  明らかに、目の前のバイオロイドの愛称のような名前だ。しかも、かなり親しい人が口にするような。 「二人でいる時なら」 「いや、いつ、どこででも、だ」  ファランヴェールの口調は、有無を言わさぬものである。それにフユは少し驚いた。  そのような親し気な呼び方を大勢の前でするなんて。いや、それだけならまだいい。しかし、ヘイゼルの前では…… 「その呼び名は、余りに」 「親しすぎる、かな」 「ええ、まあ」  遠慮がちにそう答えたフユを見て、ファランヴェールはふっと自嘲気味に笑った。 「すまなかった、忘れてくれ。シャワーを借りてもいいかな」  ファランヴェールがソファから立ち上がる。話はここまで、という無言の制止のようだ。 「は、はい。シャワールームはそこです」  フユがダイニングの横の扉を指さす。ありがとう、と一言つぶやきシャワールームに向かうファランヴェールの背中に、フユは声をかけた。 「あの、その名前は」  ファランヴェールが立ち止まる。そのまま、フユの方へと振り返ると、軽く笑みを浮かべた。 「かつて、私を愛してくれた人が、私のことをそう呼んでいたのだよ」  そう言うとファランヴェールは、シャワールームへと消えていった。
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