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 見せられた映像の中のバイオロイドは、短く切りそろえた赤い髪が印象的だ。少し切れ長の目を宿したその端正な顔には、戸惑いと僅かな苦悶の表情が浮かんでいる。  キャスパー・クエル・ベローチェ――今年、クエンレン教導学校に入ってきたバイオロイドの中では一、二を争う性能の持ち主と言われていたバイオロイドだった。  しかし、ラウレとの模擬戦闘訓練において負傷し――身体的ではなく、精神的なものであった――結局、学校を去ったとフユは聞いていた。  理由は、その精神的ダメージが原因でエイダーとしての適性を失ったから。  そのベローチェがなぜ、このような『姿態』を晒しているのだろう。 「これは、一体、何を」  フユは思わず顔を背け、ウォーレスにそう問いかけた。  何をしているのか、いや、何をされているのか、フユにはもちろん分かっていた。男性――頭部がモザイク処理をされていて、どういう人物なのかははっきりとは分からない――の性行為の相手をさせられているのだ。  分かっていてなお、問わずにはいられなかった。 「もちろん、見ての通りだ」  ウォーレスが平然とそう返す。 「これも、部長、あなたが」  しかし、そのフユの問いかけには、ウォーレスは答えない。 「そのバイオロイドの表情を見て欲しい」 「お断りします」 「科学者として見るんだ」 「この映像の何をどう科学者として見ろというのですか」  フユの声が少し荒いものになる。 「君ならわかるはずだ。ヘイゼルと、そのバイオロイドとの違いが」  しかしそのフユの反応にも、ウォーレスは冷たいほどに冷静だった。  フユは無言でウォーレスを睨みつける。 「どう違う」 「それを、答えろというのですか」 「ああ、そうだ。教えてほしい。それとも、君と性行為をしているヘイゼルの表情を、直接私に見せてくれるのか」  そこで一瞬、静寂が訪れた。ウォーレスを睨むフユの顔が、怒りからかそれとも恥ずかしさからか、赤くなっている。  ウォーレスもまっすぐにフユを見つめていた。普段のような、掴みようのない軽さは、今はその表情から消えている。 「部長は先日僕に、『売春の斡旋』は誤解だと言いましたよね」  ウォーレスにヘイゼルとの関係を追及された日、フユはウォーレスにそのことについて問うていた。しかしその時、ウォーレスは『それは君の誤解だ』と答えていたのだ。 「ああ、言った」 「では、これは何ですか。エイダーとしての適性を失ったバイオロイドは、他の部門へと回されるはずです。なのになぜベローチェがこんなことをさせられているのです。あなたが斡旋したからでしょう。それともこれが、あなたの研究だと言うのですか」  フユが、いまだ映像が流れ続けている端末を指さす。 「もちろん、研究の一環だ。だが研究以外に、もう一つ目的がある」 「金儲けですか」  間髪を入れずにフユが言葉を返した。その言葉に、ウォーレスがふっと笑う。 「何がおかしいのですか、部長」  フユの口調はもう、相手を詰問するようなものであった。しかしウォーレスは動じていない。まるで、フユとは別次元にいるような、そんな雰囲気をまとっていた。 「あれはな、リオンディ君。『救い』だ」 「救い?」 「そうだ」 「あれのどこが『救い』なんですか!」 「君も、あの男と同じことをしているじゃないか」 「違います。ヘイゼルはあんな『何をされているのか分からずに戸惑っている』ような表情はしていません。嫌がってもいない。だって、彼から僕を求めてくる」    もしかしたら誘導に乗せられたのかもしれない――フユの頭にふとそう言う思いがよぎる。しかしフユはすぐに、そんなことはどうでもよくなった。  自分とヘイゼルは、自らの意思でつながっている。無理やりの行為と一緒にされるのは我慢がならなかったのだ。  ウォーレスは、思いがけずもフユから出た『答え』に、しかしそれほど興味は示さない。ウォーレスには初めから分かっていたことだった。 「君の言う通り、エイダーとしての適性のないバイオロイドは他の部門に回される。保育、家政、看護、介護。バイオロイド無しでは成り立たないものも多い。このネオアースでは、ケア・ジョブに人間の手を回す余裕がないからだ」  ウォーレスが端末を操作し、映像を止めた。そしてフユに、席に着くよう促す。フユはそれに首を振った。 「立ったままで結構です」 「そうか」  ウォーレスはそれ以上は促すこともなく、デスクの上のカップに口を付けた。 「でも、だよ、リオンディ君。エイダーにもなれず、ケアジョブにもつけないバイオロイドはどうなると思う」  ウォーレスの問いかけは、フユの想定していないものだった。 「何かもっと別の仕事を与えられるのでは」 「その『別の仕事』もこなせないバイオロイドは」 「……分かりません。そのようなバイオロイドがいるとは聞いたことがありません」 「じゃあ、『寿命』を迎えたバイオロイドが『リサイクル』へと回されるということは」 「知ってます」  バイオロイドにも寿命がある。人間のように肉体が老いることはないが、ある年齢になると急激に活動能力が低下する時期がくる。その後しばらくして活動を停止するのだ。  個体差はあるものの、その時期は生産されてから五十年ほどと言われている。  しかしそれは、バイオロイドにとって『死』では無かった。合成タンパク質を始めとする彼らの肉体を構成する物質は、『再処理』をされ、再び新たなバイオロイドを生み出すための『材料』に使われるのだ。  それは学校の授業でも教えていることだった。 「なら、どの部門でも使い物にならないバイオロイドは、寿命など無関係に『再処理』へと回されるということは知っているか」  再び、部屋の中に静けさの波が押し寄せた。ウォーレスの言葉の内容を、フユは一瞬分からずにいたのだ。  いや、理解はできた。しかし脳が、それを認めることを拒否している。 「人間の指示に従わないバイオロイド、もしくは、法に違反したバイオロイドも、『再処理』へと回される。そう、例えば、人間と性的関係を持ってしまったバイオロイドなどはな」  そこに、ウォーレスの言葉が追い打ちのようにたたきつけられる。フユの唇が震えた。 「寿命を迎えていないのなら、そのバイオロイドは生きています。生きたまま『再処理』されるということですか。そんなの、そんなの、おかしいじゃないですか」  唇の振動が、声を震わせる。  ウォーレスの目が、憐れむようにフユを見つめた。 「バイオロイドは『道具』なんだよ、リオンディ君。現在の、このネオアースではね」
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