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※  壁のスクリーンに、外の景色が映し出されている。さっきまでうっすらと残っていた恒星ロスの赤い光は、もう見る陰もなくなくなってしまっていて、今は紺色に染められた夜空に色とりどりのオーロラがたなびいていた。 「ファルは知ってた? ラウレにあんな能力があったなんて」  フユが声をかけた先、リビングのソファでは、ファランヴェールがその紅い瞳をフユに向けている。その目を閉じ、ファランヴェールはゆっくりと首を振った。 「きっと管理部でも把握はしてなかったでしょう。しかし、驚きはありません」 「なぜ?」  圧縮暗号の訓練がちょうど一段落したばかりである。地下の自室にいたフユは、リビングに上がってくると、躊躇いもなくファランヴェールのすぐ横に腰かけた。  ラウレがヘイゼルと引き分け、ベローチェを医務室送りにしたその夜、ヘイゼルがメンテナンス日だったこともあり、フユの部屋にはファランヴェールが来ている。  自分のそばに座ったフユを見て、ファランヴェールは少しだけ眉をハの字に動かした。 「イザヨ・クレアがデザインしたバイオロイドたちは、どうも、バイオロイドに対する何かしらの特殊能力をそれぞれが持っているようです。もう何体もがクエンレン教導学校以外にも所属していますが、『使い物になるものたち』は全てそのようですね」 「へえ。イザヨ・クレアって、どんな人なんだろ」  数々の優秀なバイオロイドを生み出しているDNAデザイナーという肩書だけは知っているが、フユにはその人物像がつかめない。 「私もあったことはありません。ただ」  ファランヴェールがそこで言葉を切る。 「ただ?」 「去年、バイオロイド解放戦線が犯行声明を出したテロ事件は四件でした。そのうちの二件に、フユが巻き込まれている」 「学校での襲撃を合わせると三件だね」 「ええ。そしてイザヨ・クレアも、三件のテロ事件に巻き込まれています」 「ええっ?」  その話は、フユにとって初めて聞くことであった。しかし、数が合わない。 「三件って、犯行声明が出されたもの以外にも狙われたってこと?」 「いえ。彼女はシャンティホテルの爆破事件の時、ホテルにいたのです」 「あそこにいたってこと? 僕らと同じように?」 「ええ。しかし、どの事件でも彼女はほぼ無傷で難を逃れています」  一件だけというのなら、たまたま巻き込まれたと言えるかもしれない。しかし三件となると、狙われていると考えた方が自然だ。それはまさに、あのカーミットが言ったとおりである。  フユは、ヘイゼルとファランヴェールのおかげで今なお生きながらえている。 「イザヨ・クレアって人はどうやって」 「なんでも、護衛としてバイオロイドを二・三体連れているとか」 「それぞれが、何らかの能力を持ってるってこと?」 「多分」  これまで解放戦線が起こしたテロはすべて、その実行犯はバイオロイドであった。イザヨという人物はそれを見越して、そして自分が狙われているということを知っていて、対バイオロイド用のバイオロイドを生み出しているということなのだろうか。 「バイオロイド管理局は、イザヨのバイオロイドたちの能力を把握してるのかな」  フユの言葉には何ら含んでいるものはない。しかしファランヴェールはさらに苦しげな表情を見せた。 「そこまでは、私も」  ファランヴェールは、クエンレン教導学校で行われているバイオロイド研究の内容を管理局に報告している。それは学校には秘密裏に行われているものであるが、フユはそれを知った後も変わらず、ファランヴェールに接している。もちろん、それを学校関係者に『密告』することもなかった。  ファランヴェールがフユを『襲った』のも、結局一回きりであった。その後は、二人きりになっても、以前のままのファランヴェールである。変わったと言えば、ファランヴェールの言葉遣いが丁寧語のまま元に戻らなかったことくらいだろうか。一方で、フユがファランヴェールに触れる機会は以前より多くなっていた。 「気にしなくていいよ。ファルは学校のためにもうまくやってくれてる。そうだよね」  フユが手を伸ばしファランヴェールの白い頬に触れる。そのまっすぐな視線を受け止めることができず、ファランヴェールが視線を外した。 「ベローチェの具合は?」  頬に添えた手を離すことなく、フユがそう尋ねる。 「精神活動に異常をきたしているようです。しばらくはメンテナンスカプセルから出られないかと」  ファランヴェールがフユに視線を戻す。その瞳は少し潤んでいるようだ。 「ラウレは何をしたの? 僕には見えなかった」 「映像を見ましたが、ラウレはただ、ベローチェの蹴りを手で受け止めたというだけでした。それ以外何もしていない。そのあとベローチェは自分から倒れてしまっています」 「それだけでベローチェの精神を『破壊した』ってこと? そんなこと、できるものなのかな」 「もしかしたら、バイオロイドの『第二の耳』に対する何らかの作用かもしれません。はっきりしたことは学校も分かっていません。ラウレにはその能力について誰にも教える気はないようです」  フユがファランヴェールの長い髪をかき上げる。バイオロイド特有の先端が二つに分かれている耳が、その奥から現れた。それは人間にはない、波長の長い電磁波を感知する器官である。 「これ、だよね」  そのままフユが、その耳に触れる。その瞬間、ファランヴェールの口から湿っぽく熱を持った吐息が吐き出された。 「フユ、あまり見られると、恥ずかしいです」  ファランヴェールが顔を赤らめながら、フユの手に自分の手を添え、耳をフユの視界から隠してしまった。  女性型も男性型も、バイオロイドたちのほとんどが髪をある程度以上伸ばし、その耳の先端が隠れるようにしている。バイオロイドにとって、その耳をじっくりと見られるのは恥ずかしいことであるらしい。 「不思議だね。裸を見られるのは恥ずかしくないのに」 「それを恥ずかしがっていては、メンテナンスを受けることができません」 「それもそっか」  フユが笑い声を漏らす。ファランヴェールが一つ大きな吐息を吐き、そのままゆっくりとフユに体重を預けた。フユはそれに抗わず、そのままソファに背中を付ける。ファランヴェールがフユに覆いかぶさるような態勢になった。 「ファル、だめだよ」  優しく諭すように、フユが囁く。ふと、ファランヴェールの顔が険しくなった。 「ヘイゼルはよくて、私はダメなのですか」 「もちろん、ヘイゼルも駄目だよ」  フユの優しく微笑む様子に変化はない。そのフユの耳元に、ファランヴェールが顔を寄せた。 「ヘイゼルの体内から、貴方のDNAが検出されたそうです。近く、それについての聴取があります」
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