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 いまだ残る不機嫌さとともに、何となくのよそよそしさに連れられ、フユは無機質な部屋を出た。  不機嫌さの発信元――ヘイゼルはどこをどう通ってきたのか一切覚えていないらしい。フユから借りたムーンストーンのマントコートを着ていたが、キスをしてもそのような『恩恵』にあずかっても、ふてくされたままでいた。  よそよそしさを身にまとったファランヴェールに、「ヘイゼルは鎮静剤を打たれたようです」と教えられ、フユはある程度の納得がいったのだが、鎮静剤の効果がなくともきっと道を覚えてなかっただろうと内心で笑った。  帰りの順路はファランヴェールが覚えているという。だからフユにとって問題なのは、ヘイゼルがなぜ鎮静剤を打たれたかの方になった。  二体のバイオロイドとともに通路を走りながら、この後に控える厄介ごとに思をはせるが、フユにはそれを切り抜ける自信もある。ひとまず、この場所を脱出することに集中を――そう思った矢先に、先導するファランヴェールがふと足を止めた。 「どうしたの」  フユの問いかけに、しかしファランヴェールは自分の行く手を阻む壁をじっと見つめたまま黙っている。 「迷ったんでしょ、ポンコツ」  ヘイゼルが、そう言ってファランヴェールを笑った。 「ヘイゼル、君はそもそも道を覚えてないんだから」 「迷ったんなら、覚えてないのと同じだよ。忘れちゃったんでしょ」  聞こえるように――いや、実際ヘイゼルはファランヴェールに聞かせるために言うっているのだろう。  さらにフユがたしなめようとして、凛とした声がそれに割り込んだ。 「迷っているわけでも、忘れたわけでもありません、マスター。道が変わっています」  ファランヴェールが少し困った表情でフユを見る。 「変わった?」 「ええ。ここままっすぐに行くはずなのですが」  そう言ってファランヴェールは前方の壁を指さした。通路は壁で直進できず、ただ右に曲がるようになっている。 「でも、壁だよ」 「ええ。しかし来るときには、この壁はなかったのです」  どういうことかと思った後で、フユは自分が閉じ込められていた部屋の仕組みを思い出した。  通路は背の高いファランヴェールでも十分に動けるほど広い。壁は無機質なパネルで覆われていて、その継ぎ目が脈動するように規則正しく光を放ったり消えたりしている。  部屋全体がぼんやりと光っていたのとは異なるが、そのパネル自体はあの部屋のものと似ているように見えた。 「この壁、可動式になってるんじゃないかな」 「動く、ということですか。でもスライドドアにはなっていません」  フユが閉じ込められていた部屋は、外からしか開かないスライドドアが出入り口になっていたのだ。 「開く、じゃなくて動く、ね。立方体が出たり引っ込んだりするみたい」  そもそもあの部屋は一体何のための部屋だったのか――「監禁のための部屋」なのかもしれなかったが、今のフユにそれを確かめる術はない。いや、もしかしたらこの建物自体がそのような目的で作られたのかもとすら思えるのだ。 「来た道がそれで塞がれたってこと? でも、誰がそんなこと?」  ヘイゼルが口をはさむ。閉じ込めたというのなら、誰かがそうしているのだろう――そう言いたいようだ。 「この建物が何か、ファルは知ってる?」 「いえ」  ファランヴェールが首を振る。フユは一瞬ヘイゼルの顔を見て、そして問うのをやめた。 「フユ、ひどい」 「じゃあ、ヘイゼルは知ってるの」  その問いかけに、ヘイゼルはぷいと横を向く。 「どうしましょうか、マスター。ここで何かが起こるのを待つか、それとも進める道を進むか」  ファランヴェールにそう言われ、フユが少し考える。落としてしまっていたインカムはファランヴェールが拾ってくれたようで、今はフユの頭に納まっている。しかし外部とはいまだ連絡が取れないでいた。 「進もうか。待っていても仕方がないし、ヘイゼルの言うとおり誰かが何かをしているのなら、何かしらの意図を持っているだろうし、それは進めばわかると思うよ」  閉じ込めようというのなら、全ての道を塞いだろうが早い。進む道があるというのなら、それは誰かがそこへ呼び込もうとしている。誰かがそうしているのなら――フユはそう考えた。  その「誰か」はカグヤではない。もっとほかの誰か――もしかしたら、最初にフユを襲ったバイオロイドを差し向けた人物かもしれない。 「危険、ではありませんか」  ファランヴェールもフユと同じ懸念を持ったようだ。 「今はファルも、ヘイゼルもいる。それに何かするのなら、こんなまどろっこしいことはしないと思うよ」 「そうですが」 「ボクだけで十分なのに」  カグヤはこの建物のことをフユには教えなかった。口ぶりから、この建物の主はカグヤではなさそうだとフユは思っている。  ヘイゼルは問答無用にカグヤにとびかかっていたが、ヘイゼル自身はカグヤのことを「見たことも聞いたこともない」らしく、ただ本能のままに――つまり「フユにとって危険な存在」であると感じたようだった。  実際のところ、フユにはカグヤが危険な存在には思えない。ヘイゼルにも思い過ごしがあるのかと思ったくらいである。  ただ、ファランヴェールの様子は少し気になった。ファランヴェールははじめ「知りません」と言っていたが、どこか喉に引っかかったような物言いで、フユがそれを指摘すると、「見覚えがあるような気はするのですが、どうにも思い出せなくて」とバツが悪そうな表情をしていた。 「みんな心配してるだろうし、早くここを出なきゃ」 「分かりました。では進めるだけ進んでみましょう」 「フユはボクが守る。主席様は露払いをすればいいよ」  そう言ってヘイゼルはフユの腕を抱え、ファランヴェールに向けあっちへ行けと言わんばかりに手を払った。  一瞬だけ、ファランヴェールの顔が『エイダー主席』のものに変わる。しかし咳ばらいを一つすると、脈動する光の中、薄暗い通路を走り始めた。
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