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 なぜこの学校に来たのか。それはあのバイオロイドがいるからではないのか。ファランヴェールの質問に、フユは返事に困りうつむいてしまった。  実際その通りではあるのだが、フユがここに来たのは、『恩人がいるから』という理由だけではない。いや、それだけならここには来なかっただろう。 『ヘイゼル!』  父親の最期の声がフユの脳裏によぎる。フユがあのバイオロイドの名前を知ったのは入院している間のことだったが、父親はあの時既に知っていたのだ。 ――なぜ?  実際、父親がフユに自らの仕事について語ったことは一度もなかった。バイオロイドの研究者ということだけしか知らないのだ。どんな研究をしていたのか。どのような成果を残したのか。それも入院中に可能な限り調べてはみたが、フユには分らなかった。  だからフユは最初、あのバイオロイドを作ったのは父親ではないのかと疑った。しかし彼の名前が『フォーワル・ティア・ヘイゼル』であることを知り、そうではないと分かった。バイオロイドのファーストネームには開発者の名前が付く。ミドルネームが類型名、そしてサードネームが個体名である。どのみち、父親の名はアキト・リオンディである。『フォーワル』ではない。  ただ、フユが調べた限り、名の知れたDNAデザイナーの中にも、『フォーワル』という名の人物はいなかったのだ。  結局フユは、答えにはたどり着けなかった。公開されている情報には限界がある。父は自宅にも何ら研究に関する資料を残してはいなかった。研究所には、当然ではあるが、フユは入らせてもらえなかった。  ヘイゼルと父親の接点。教えてくれるはずの父親はもうこの世にはいない。知りたいとフユは強く思った。だから研究者の道を捨て、この学校に来たのだ。しかし、そのことを他人には絶対に秘密にしておこうとも決めていた。  返答に戸惑うフユを見て、ファランヴェールは誤解をしたようだ。雰囲気を一転させ、目に見えて慌て始めた。 「す、すまない、嫌なことを思い出させたようだ。私の言葉に失礼があったのなら、謝ろう。申し訳ないが、私には人間の感情が良くは分からない。どれほどバイオロイドが人間のDNAに基づいて設計されていると言っても、所詮『作り物』だ。共感も同情も、人間の模倣に過ぎない。許してくれ」  その言葉を、フユは少し意外に思った。バイオロイド達は、皆このような認識なのだろうか。一方で、ファランヴェールの様子が、まるで子供を怒らせてしまった親のようだとも思い、内心少し可笑しかった。 「平気です。父のことも母のことも、病院で整理をつけてきました。父は私に『バイオロイド研究者にはなるな』と言っていました。理由は分かりません。でも、今にして思えば、テロの標的になるからだったのかもしれません。確かに、さっきの彼は恩人です。それもあるのですが、父の言ったことに従ってみようと思ったのもあります」  このフユの言葉に嘘は無い。本当はもっと悲しむべきであり、自分は薄情な人間なのかもしれないと悩んだ時もある。父親と母親の死を聞いた時にも、フユは涙一つこぼさなかった。  フユはある種の使命感に動かされていた。悲しんでいる暇はないのだ。何かがある。フユは直感的にそう感じていた。その何かを突き止めた時になって初めて、きっと涙が出てくるのだろう。 「そうか。何と言うか、君は強いのだな」  ファランヴェールが少し目を細めてフユを見る。雰囲気が何となく母親に似ているとフユは思った。 「まだ、両親の死に向き合うことができないだけです」 「その言葉も、十代半ばの人間のものとは思えない。敬服するよ」  ファランヴェールの言葉に、フユは少しだけ顔をしかめた。 「そんなに、老けてますか、僕」  少しだけ、フユの地が出てしまう。するとファランヴェールが声を立てて笑い出した。 「いや、そういう意味ではなくてね。すまなかった。でも、初めて本当の君の垣間見たような気がする。良ければ、そのように接してもらえるかな。私も君をフユと呼ぼう」  ファランヴェールがフユに向けて手を差し出す。フユは躊躇なくその手を握り、握手を交わした。 「わかりました、ファランヴェール」  見上げる視線の先にあるファランヴェールの顔は、父親とも母親とも全く似てはいなかったが、フユは彼にその両方の匂いを感じたような気がした。
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