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 真っ白な部屋は、密閉された空間にしかみえないが、不思議と息苦しさは感じない。しかし、それがどういう仕組みなのかと疑問に思うよりも、「そうなのだ」と受け入れる。  今は、目の前の女性、カグヤ・コートライトと名乗った銀髪の女性の話の続きが聞きたかった。  フユの言葉、『パーソナル・インプリンティング』という単語を聞いて、カグヤは確かに口元を動かした。でもそれに何かの『含み』があるというよりは、先ほどから時々見せる『微笑ましさ』の表れのように思える。 「正確に言うならば、それは二義的なものでしかありません。バイオロイドを特定の個人に服従させる技術。それを組み込んだバイオロイドを大量生産すれば、この星一つ支配することなど容易いでしょう。でも、私たちはそのようなことを目指していたのではないのです。もっと、もっと」  カグヤが言葉を止める。相変わらずその目は閉じられていて、しかも表情は硬い。口元だけがカグヤの心理をわずかに物語る程度であった。 「大きなものを」 「それは、『バイオロイドの解放』ですか」  ある意味、核心的なことをフユは口にした。自分の父親が何かしらのかかわりを持っていた組織、そしてフユの命を狙っているかもしれない組織。その理由がヘイゼルに組み込まれているかもしれないPAの技術と関係があるのだとすれば、そしてあのヘイゼルに似たバイオロイドが解放戦線が送り込んできたものだとすれば、目の前の女性も解放戦線と何かしらの関係があるはずであった。 「『あれ』には私も少し手を焼いています。それに、貴方のお父さんを守れなかったのは私の落ち度。謝らなければなりません」  この口ぶり、カグヤは単に「父の共同研究者」というだけではないようだ。カグヤの言葉の、どこかしらもったいぶった言い様に、フユの気が急いてしまう。 「『あれ』とは何ですか」 「バイオロイド解放戦線のリーダー、ムイアン」  名前だけ、いや名前しか聞いたことのない存在。 「知り合い、なのですか」  少し熱を帯びたフユの言葉に、しかしカグヤはまた口元を動かし、ふふふと声を漏らした。 「貴方は、両親の死については、何も思うところがないようですね」  そう言われ、フユは気勢をそがれてしまう。確かにそう思われても仕方ないのかもしれない。 「正直、実感がありません。いけませんか」 「いいえ。ただ本当に、彼にそっくりだと思っただけです。アキト・リオンディに」  本来ならば、例えば懐かしむような表情を見せそうなものである。しかしカグヤは微動だにしない。言葉についてもただ客観的に述べている風で――フユは、目の前の女性が人間ではないと確信するようになっていた。  では、一体彼女は『何』なのか。それはフユが知る由もないことである。 「父に、ですか」 「ええ。人間の死に鈍感な所が」 「それは」 「いいのですよ。アキトがいたのはコートライト財団傘下の研究所です。それが二十年ほど前からのこと。そして十四年前、貴方の母親、レイカとの間に子供ができました」  それがフユなのだろう。しかし、カグヤがいきなり昔話を始めたことにフユは少し驚いた。 「レイカが『夏』、アキトが『秋』なので、その子の名前は『冬』にしたとか。それは、はるか昔に地球にあった、貴方のお父さんとお母さんのルーツでもある国の言葉です」  その話についてフユは、母親から聞いたことがあった。しかし、その時に疑問に思ったことは今も解決できていない。それが思わず口から出た。 「なぜ『春』じゃなかったんでしょうか」  何も、厳しい季節の名前にちなむことはなかったんじゃ――フユは以前からそう思っていた。 「冬来たりなば、春遠からじ」 「それは、なんですか」 「つらい時が来たとしても、それを耐え抜けば、良い時期がいつかきっとくる、という意味です。アキトはこの言葉が好きでした」  そう、ですか――フユは独り言のようにそううなずいた。あまり交わることのなかった父の、初めて耳にする『想い』のように思えた。 「でも、なぜ僕が『冬』なのか、そして『春』は来るのか。分かりません」  カグヤに向けそう言うと、フユはつと俯いた。 「彼は、貴方が生まれた時からもうすでに、貴方に『あること』を課そうとしていました」 「あること?」  フユがまた顔を上に上げる。 「ええ。ある意味、とても酷いこと」 「それは、なんですか」  カグヤはそこで少し口をつぐんだ。真っ白な空間で音すらなくなると、まるで時間が止まったように錯覚してしまう。  フユが唾を一つ飲み込む。その、コクンという音が、再び時間を進めだ。 「研究をする上で彼には偽名が必要でした。『自分は『秋』だからそれにちなんだ、でも誰にも分からないような言葉は無いか』と尋ねられたので、私はこう答えました。『フォーワル。ドイツ語で秋という意味です。でももうネオアースでこの言葉を知る者はいないでしょう』、と」
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