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 ゲルトを解放しなさい。そうすればバイオロイドを、ヘイゼルを助けてあげる――  結局のところ、クレアの目的はこの提案だったのだ。 「ゲルトも、それなら納得すると思う。いつかバイオロイドがいなくなり、人間が人間の未来を決める世界が来る。でも、アナタも、アナタのバイオロイドと『死ぬまで』一緒にいられるのよ。いいと思わない?」  イザヨ・クレア――車いすに座るその姿は、まだ成人にすら達していないように見える。 「いったい……いったいいつから、こんなことを考えていたのですか、クレア博士。この計画、ファルが僕をマスターにすることでしか成り立たない。でもこんな計画、一年や二年では」 「四十年以上!」  クレアの甲高い叫びが、フユの言葉を途中で遮った。 「ええ、そうよ、一年や二年なんかじゃない。ゲルトが、ファランヴェールとカグヤに封印されてから四十年以上、ワタシはずっと、ずっと、ずっと待っていた」 「四十年……貴女は、何年生きているのですか」  フユの問いかけに、クレアが自嘲気味に笑う。 「生命『固定』装置に体をつないで、体を成長させないようにしているの。自分が何歳なのかなんて、もう忘れたわ。ゲルトとの戦いのせいで『マスター』を死なせてしまったファランヴェールが、アナタを新しい『マスター』として受け入れるのをずっと待ってたのよ。ここで」  もはや人間では――発達した科学ではそれが可能だ、というのは分かる。しかし、その『意志』は、もはや人間のものとは思えない。  一方で、クレアの言葉――フユはそのおかしさの含まれた一点にすぐに気が付いた。 「僕を、ですか?『誰か』じゃなく? まるで僕がファルのマスターに選ばれることが分かっていたような」 「ええ、分かっていたわ。他の誰かではなく、アナタが必ずファランヴェールの『マスター』になるってね。だって、アナタ」 「待ちなさい」  ファランヴェールが突然、クレアの言葉を遮った。 「あら、ファランヴェール。知られて困るようなことじゃないでしょ。なぜ彼にそのことを話していないのか、不思議なくらいだわ」 「私は私の意志でフユをマスターに選んだ。それ以外に理由など無い」 「アナタの意志? お笑いね。アナタがそう思い込んでいるだけ。フユ・リオンディが、アナタが『マスター』と呼んでいた男、ミルヴィニー・ミグランの『曾孫』だから、でしょ。それが、たまたま、フユ・リオンディだったというだけよ」 「ファルのマスターだった人が、僕の……ひいおじいさん?」  フユがファランヴェールを見る。 『ミグラン』という名は、ファランヴェールの口からきいたことはあった。しかし、まさかそれが自分と血縁関係にある人間だとは思いもしなかった。 「隠すつもりはなかったのですが、マスターはその名を知らなかったようなので、その」  ファランヴェールはどこか居心地が悪そうにそう口ごもった。 「そうよ、フユ・リオンディ。血よ、血なのよ。単にアナタの『血』が、ファランヴェールにそうさせただけ。別にアナタじゃなくても、アナタの父親のアキトでも良かったのよ。アキトと交わることがなかった。だからアナタになっただけ。ファランヴェールを愛してる? かわいそうなフユ・リオンディ。アナタは単なる『代用品』なのよ」 「そうではない」 「そうでしょ? 彼がミグランと血のつながった人間でなければ、ファランヴェール、アナタは彼をマスターと呼んだ?」  ファランヴェールはなおも何かを言い返そうとして、しかしそのまま黙り込んでしまった。 「それが、そうだとしても、今ファルは僕をマスターと呼んでいる。そうだよね、ファル」  フユが、微笑みながらファランヴェールを見る。ファランヴェールは一瞬はっとなって、しかしすぐに穏やかな顔に戻り、「はい、マスター」と答えた。 「クレア博士、貴女の提案ですが」  フユがクレアの方へと向き直る。 「ありがとう、一応礼は言っておくわ。さあ、ファランヴェールに」 「お断りします」  その瞬間、ゴーグル越しにも、クレアの表情が凍り付くのが分かった。 「聞き取れないわ」 「お断りします」 「なぜ? 断って、アナタに何の得があるの?」 「僕が望むのは、これから先もずっと、バイオロイドが人間と手を取り合って生きていく世界です」  フユが傍にいるヘイゼルの方を見る。ヘイゼルは話の間中ずっとフユの方を見つめていた。  いつもならとっくの昔に暴れ出していたかもしれない。でもヘイゼルも、何かを感じていたのだろうか、ただフユを見つめていたのだ。  ダークグレーの髪、ライトグレーの肌、漆黒の瞳。  フユがヘイゼルの髪をなでた。ヘイゼルの表情に一瞬不思議そうなものが現れたが、すぐに熱い瞳へと変わる。 「人間に奉仕する存在ではなく、共存していく存在として。愛されてもいい存在として。貴女の提案には、その未来がない」  しばらくの沈黙。  そしてクレアは――大きな声で笑いだした。
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