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※  ファランヴェールに言われ、フユはヘイゼルと一緒に理事長室に向かうことになった。  二人でということは、事件に関することに違いない。フユは治安警察の事情聴取をすでに受けていたが、学校は、精神的な負担の大きさを理由にバイオロイド管理局の聴取は延期にしていたのだ。  それがとうとう、ヘイゼルが懲罰房に入れられる直前という、この日が選ばれたということだろう。 「ねえフユ、聞いてる?」  ヘイゼルは、フユの横で最近あったこと――そのほとんどが、ファランヴェールの悪口であったのだが――をぺらぺらとしゃべっていたのだが、うわの空で歩くフユの様子に、頬を膨らませた。 「えっと、ごめん、何だっけ」  フユはヘイゼルの話を聴いていなかったことを苦笑いでごまかしたのだが、ヘイゼルが「ひどーい」と抗議の声を上げる。  この後ヘイゼルには三日間の懲罰が待っている。その鬱憤をファランヴェールの悪口で解消しようとしているのだろうか。そのこと自体にも、フユは苦笑いせずにはいられなかった。 「あー、もし、フユ・リオンディ君ですかね」  突然、フユを呼び止める声が後ろから聞こえた。フユが足を止めて振り返ると、夕暮れを照らす街灯の光の中、白いワイシャツと水玉の入った赤いネクタイをした中年男性が立っている。カーキ色の帽子とズボンは、随分と年季が入っていて、ヨレヨレである。 「はい、そうですが」  明らかに学校の関係者ではない。思わず、フユの顔に怪訝な表情が浮かぶ。 「いやいやいや、警戒させてしまったようで、申し訳ない。私はバイオロイド管理局のカーミットという者でしてね」  そう名乗った男は、一生懸命ハンカチで汗をぬぐっているが、その仕草からは一見間の抜けた印象を受ける。しかし帽子の下から覗く目はどこか狡猾そうな色を帯びていた。 「何の用」  ヘイゼルが男とフユの間に割って入る。今にもその男に殴りかかりそうな勢いだ。 「ヘイゼル、失礼なことをしちゃだめだよ」  フユは慌ててヘイゼルを制止したが、そのフユにしても、男に対する警戒感を隠そうとはしていなかった。 「ああ、これが君を助けたというバイオロイド・ヘイゼルですか」  感心した様子でカーミットがヘイゼルを眺める。しかし、男がヘイゼルを『これ』呼ばわりしたことで、フユの表情に不快感が加わった。 「理事長室でお会いするというお約束のはずです。お話は後ほど」  フユはヘイゼルの腕を引っ張り歩き出す。 「まあまあ、そう言わずに。ちょうど君の姿を見かけたもので、ちょっとだけ、ちょーっとだけ、君に訊きたいことがありましてねえ」  カーミットがフユの前に立ちふさがった。 「ですから、後ほど理事長室で」 「ピー・アイという言葉、聞いたことありませんかね」  カーミットがフユの目を覗き込む。フユは背筋に何かが這うようなおぞましさを感じた。 「いえ」 「じゃあ、『パーソナル・インプリンティング』というのは」 「いえ」 「君のお父さんが知っていたはずなんだがねえ」  カーミットの口から突然出てきた言葉に、フユは一瞬、この男の言わんとすることが分からず、眉をひそめた。  なぜ、父親の話が出てくるのか――  もしかしたら、そのフユの仕草でこの男が何かしらの疑いを持ったかもしれないが、男は何かしら変わった様子は見せていない。どちらにしても、フユには男が口にした単語に聞き覚えはなかった。 「ないです。もういいですか」 「もう少しよく思い出してもらえませんかね」 「ないものは、ないです」  フユの返事に、あからさまな不快感が混じる。その瞬間、ヘイゼルがまたフユを庇うように前に出て、カーミットを睨みつけた。その視線に、カーミットが肩をすくめる。 「そりゃ残念です。お手間を取らせましたな」  フユの様子から一体何を読み取ったのかは分からないが、カーミットは確かに残念そうな声でそう応じた。そしてまたハンカチで汗をぬぐい、くるりと背を向ける。  意外なほどのあっけなさに、フユはふっと息を吐いた。しかし、次の瞬間、男がいきなり振り返る。 「ああ、そうだ。シャンティホテルの爆破事件の実行犯のこと、もう聞きましたかね」  不意を突かれた……と言っていいだろう。フユは思わず、ぎょっとした表情のまま固まってしまった。  訓練を終えた生徒の何人かが、フユたちの近くを歩いていく。しかし彼らは、グループでのおしゃべりで夢中なようで、フユたちに気を向けることはない。  カーミットは、彼らが歩き去るのを待った後、フユに近づき、低い小声で囁いた。 「二体のバイオロイドでしてね。自爆テロでした」  そして、ヘイゼルの方へ視線を向ける。ヘイゼルそれを睨み返した。 「僕のお父さんは、管理局の不手際で命を落としたということですね」  ネオアースにいる全てのバイオロイドは、バイオロイド管理局が管理しているはずである。ならばフユの言う通りであり、カーミットはそこで初めて苦いものを噛み潰したような表情を見せた。 「そう言われてしまうと、返す言葉はありませんな。そして今回は君が狙われた。だから我々は調べている。人に危害を加えないように作られたはずのバイオロイドが、なぜ、どうやって、テロなどという行為に及んだのか。そして犯行声明を出した『バイオロイド解放戦線』の目的は何なのか」  フユの脳裏に、無残な姿になった母親とその横で泣き続ける女の子の姿が浮かんだ。あの子は、爆風の影響で目が見えなくなっていたが、それはあの子にとって幸運なことだったのかもしれない。  フユのように、一生消えない記憶を刻み込まずに済んだのだから。 「それが僕の両親を殺した組織ですか。覚えておきます。僕みたいな子供をこれ以上増やさないためにも、しっかりやってください」  その言葉は、およそ十代半ばの少年が口にするようなものではなかったに違いない。しかしフユの聡明さに加え、目の前の男に対する不快感、そしてフユの中に新たに芽生えた使命感が、フユにそう言わせた。  と、フユの言葉を聞いた男の目が、これまでになかった光を帯びる。それがフユには、獲物を狙う猛禽のもののように見えた。 「君が狙われたんだ、灰髪のバイオロイドに。そして君のお父さんを殺したバイオロイドも、二体とも灰髪だった」  カーミットが訴えかけるように両手を広げる。その、どこか演技がかった身振りと口調には、フユを労わる様子などこれっぽちもない。フユには、ただ自分を動揺させ、何かしらこの男に都合のいいような状態に誘導するためだけの言葉であるように聞こえた。 「そんな聞いたこともない組織に狙われるようなことはしてません」 「君のお父さんは、バイオロイドに殺されたんだよ。君も殺されかけた。そのヘイゼルと同じ、ティア・タイプにね。なぜ?」  目を大きく開き、驚いたような表情でカーミットが語り掛ける。  両親を失った理由、そして自分が狙われた理由。それを知りたいという気持ちがないではなかったが、それ以上に、男の、まるでヘイゼルが犯人だと言わんばかりの口調が、フユには許せなかった。  フユの右手が相手を殴るための予備動作を起こす。しかし、その手は、力強い手によってつかまれ、それ以上の行為に及ぶことができなかった。  フユが驚き、後ろを見る。その姿、幾度見たことだろう。ファランヴェールの真っ白な髪が、街灯の光を反射して煌めいていた。
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