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 もしかしたらまたヘイゼルがここに来るかもと思うと、フユはあまりぐっすりと眠ることができなかった。しかしその心配は杞憂だったようで、早朝の屋上テラスは、はるか遠くに見える山脈の稜線から覗く真っ赤な恒星ロスの光と、生態系維持のために地球からつれてこられた鳥類の子孫たちの囀り、そしてまだ闇の余韻が残る空にたなびくオーロラ以外には何もなかった。  昨日と違い、今日はネオアースに降り注ぐプラズマの量が多いようだ。ヘイゼルはオーロラに名残を惜しみつつ、室内へと戻った。    中学生の時、自宅から学校まで少し距離があったため、フユは自動操縦のバスで学校へと通っていた。そして怪我をして以降は、白っぽい壁と複雑な機械に囲まれた中で目覚める朝を迎えていた。  それが誰であれ、目が覚めると必ずフユの近くに誰かがいた。しかし今日からは、誰もいない部屋からフユの一日がスタートするのだ。これまでとは違う朝に少し戸惑いつつも、フユは支度を終え、学校へと向かう。  久しぶりの学校生活、しかしその二日目から、フユは溜息をつくことになってしまった。  教室に入ると、すでに何人かの生徒が来ていた。余裕のある空間を挟んだフユの席の隣では、もう一人の特待生、カルディナ・ロータスが机に伏して寝ている。その時点では、これといってフユに注視する者はいなかった。  しかし、教室の自分の席に座った途端に、何処からともなく声が聞こえてくる。 「あのヘイゼルを落としたらしいぜ」 「どうやったんだか」 「親のコネだよ、コネ。最初からアレはあいつの為に用意されてたって話だぜ」 「さすが試験免除の『特例』特待生様だよな」 「俺、三回も断られたんだぜ。そんなことなら最初から言っとけっての」  面と向かって言うわけではない。ひそひそと話すのが漏れ聞こえてくるだけであり、フユは聞こえないふりをした。  フユはもちろん親のコネで入学したわけではなかった。しかし、それに抗弁したところで何になるだろう。ましてや、ヘイゼルがフユのために用意されたバイオロイドだという指摘は、フユにとって全く身に覚えのない濡れ衣なのだが、ヘイゼルの行動を思い返してしまうと、それを否定する自信がフユから消えてしまう。 『そう思われても、仕方ないか』  痛くない腹を探られるのは不愉快でしかないが、敢えて波風を立てる気はフユにはない。数日我慢すれば噂話もやがて消えるだろう。そう割り切って、授業の準備を始める。 「遺産もかなりあるらしいしなあ」 「親が死んでも得しかしてないじゃん」  しかし、その言葉が聞こえた瞬間、フユは机に手を突き、席から立ち上がった。椅子と机がぶつかるガタンという音が教室に鳴り響き、教室のそこかしこで噂話をしていた生徒たちがフユへと視線を向ける。  フユは、怒りに満ちた目でその一人一人を見回した。そうやって、度を越えた発言をした犯人を捜していく。そして、ある生徒と目が合った瞬間、フユが動いた。  そこに手が伸び、フユの腕をつかんだ。その手に引っ張られ、フユが歩みを止める。もしその手が無かったら、フユは暴言を吐いた生徒をこぶしで殴りつけていただろう。  フユが、その手の主を見る。さっきまで机に突っ伏して眠っていた生徒、カルディナ・ロータスだった。身を起こし、銀縁の眼鏡の奥にある眠たげな青い瞳でフユを見つめている。そして金色のショートヘアを軽く左右に振った。 「やめとけ」  カルディナがいかにも面倒くさげな物言いでフユを止める。しかしそれが、フユには余計に不愉快に思えた。 「邪魔、しないでくれるかな」  笑っていれば『可愛らしい』とも評されることが多いフユではあったが、この時ばかりはナイフのような視線でカルディナを睨みつける。 「あ、そう。じゃあ、ご勝手に」  フユの反応に、カルディナは冷ややかにそう言い放つと、フユの腕から手を離した。  カルディナに気勢をそがれてしまったのは確かである。何を考えての行動なのか気にならない訳ではなかったが、カルディナに何を言われようが、フユは親の死を『得だ』と言い放った生徒を許す気にはなれない。  場合によっては殴り合いになることも覚悟し、フユは再び視線をその生徒の方へと向けた。  と、突然、一人の生徒が教室へと乱暴に入って来る。そしていきなり大声で叫んだ。 「おい、エンゲージがクールーンの申し込みを承諾したらしいぞ!」  次の瞬間、フユに集まっていた教室中の視線は、突然の闖入者へと注がれた。しかしフユには何のことだか分からない。  結局その後、教室の中はその話題で持ちきりになってしまい、皆もうフユに興味を示さなくなってしまった。

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