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※ ※  捨てるように投げられた体が宙を舞い、音を立ててルームの中央に落ちる。  床に広がったダークグレーの髪と、そして漆黒のドレス。それとのコントラストのせいで、ライトグレーの肌がシルバーメタリックの光を放っていた。  瞳は開いたまま、しかし光は感じられない。手足も、首も、力なくよじれ、床に投げ出されている。 「ヘイゼル!」  フユが駆け寄ろうとして、ファランヴェールに抱きとめられた。 「離せ、ファル」 「いけません」 「命令だ、離せ!」  これまでに聞いたことのないような鋭い声。その迫力に、ファランヴェールは思わずフユを抱く腕の力を抜いてしまう。 「ヘイゼル!」  ファランヴェールの腕をこじ開け、フユがヘイゼルのもとへと駆け寄った。 「ヘイゼル、ヘイゼル!」  その体を抱きかかえ、軽くゆすってみるが、ヘイゼルの身体には力が入っていない。 「安心して、死んではいないわ。『壊れた』だけよ」  クレアが無感情にそう言った。 「貴様、貴様!」  ヘイゼルを胸に抱き、フユがクレアを睨む。悲しみと憎悪が宿るフユの瞳を、クレアはそのゴーグルで見据えた。 「何? 悲しいの? でもね、アナタの悲しみなんか、ワタシに比べたら、大海に浮かぶ氷の結晶に過ぎない。ワタシが憎い? アナタの憎しみなんか、ワタシに比べたら、銀河に浮かぶチリでしかない!」  体は、座った状態のまま動かせないのだろう。クレアは背もたれに持たれつつも、背を伸ばし、ただただフユを見据える。 「できるなら、アナタなんかここで殺してやりたい。ファランヴェールが絶望するでしょうね。その顔を拝んでやりたいわ。でもね、それができるなら、とっくにやってるわよ。なんなら、この手でファランヴェールを切り刻んでやりたい。それができるなら、とっくにやってるわ!」  ゴーグルの下に隠れた憎悪を、クレアは隠すことなくフユに、そしてファランヴェールにぶつけた。そして、ふっと息をつく。 「アナタを襲ったバイオロイド、あれを分析してみたの。ムイアンがアナタのバイオロイドのDNAを手に入れ、それでクローンを作り、そのバイオロイドの前頭葉を破壊したようね。言っとくけど、あれは私がやったんじゃないから」  これまでとは全く違う、落ち着いた声。いや、これまで以上に感情のない、声だった。 「パーソナル・インプリンティングまでクローニングされていたのかは、分からなかった。でも、そのバイオロイドは、アナタを追い求め、そしてその破壊衝動をアナタにぶつけようとした。それは確かな事実だわ」  二体の赤毛のバイオロイドが、クレアの左右につく。言いようもない感情に、フユはただヘイゼルを抱きしめるしかなかった。 「アナタの腕の中のバイオロイドは、どうなんでしょうね。あらゆるものに無抵抗になるのか、それとも破壊衝動に身をゆだね、アナタを『追い求める』のか」  フユの瞳から、涙がこぼれる。 「どちらかしら」  その涙が、ヘイゼルの見開かれたままの瞳に落ちた。  軽いうめき。ヘイゼルの薄い、少し紫がかった唇がうっすらと開く。 「ヘイゼル、ヘイゼル」 「マスター、危険です。離れて」  もしヘイゼルがその身に破壊衝動を宿してしまったら、ヘイゼルはフユを躊躇なく殺そうとするだろう。もうヘイゼルは、人間への従順さを破壊されてしまっただろうから。  ファランヴェールがフユの肩を揺らすが、しかしフユは応えない。ただ一心に、ヘイゼルの名を呼び続けている。 「あっ……」  軽い声が漏れた後、ヘイゼルが瞳を閉じた。そして再び目を開ける。その瞳には、光。 「ヘイゼル、気が付いた?」  その言葉に、ヘイゼルが手を動かし、フユの顔へと伸ばす。 「いけない」  ファランヴェールがヘイゼルの手首をつかんだ。 「ヘイゼル、僕だよ。フユ・リオンディだ」  焦点の定まっていなかったヘイゼルの目が、フユを捉える。 「フ、ユ」 「そうだよ」 「マスター、離れて」  ファランヴェールが余裕のない声を上げた。しかしフユは動こうとはしない。ファランヴェールはしかたなく、ヘイゼルを羽交い絞めにした。 「フ、ユ……フユ……」  ヘイゼルの手が、フユを求めてさまよう。フユがヘイゼルの手を握った。 「マスター、いけません、危険です」  ファランヴェールがそれを引きはがそうとするが、二人の手は硬く握られていて離れない。 「ねえ、フユ」 「なに、ヘイゼル」  ヘイゼルが、ゆっくりと口を動かす。いや、その動きがまるでスローモーションのように見えたのだ。  そこから言葉が出てくるまで、いったいどれほどの時間が経ったのだろうか。  それは永遠にも、一瞬でしかなかったようにも―― 「キスして」  縋るような瞳がフユの目を貫き、透き通るような声がフユの耳を通り抜けていく。  ただ、ただ、その唇に触れたい。ヘイゼルがフユを求め、引き寄せた。  重なり合う唇。そしてゆっくりと離れる。 「ヘイゼル……」 「ボクはなぜ生まれたのか。ボクはなぜここにいるのか」  ヘイゼルの手がフユから離れる。呆気にとられるファランヴェールをゆっくりと押しのけ、そしてヘイゼルはゆっくりと立ち上がった。 「フユを守るためだけに、ボクは、ここにいる」
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