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※ ※ 「理事長、本当によろしいのですか」  副理事長のトアン・デルソーレが、その太った体には全く合っていない弱弱しい声を上げる。 「構わん。責任はすべて俺が持つ。緊急の理事会を開け。すぐにその手配を」  理事長のキャノップ・ムシカの言葉に、デルソーレは「わ、私は知りませんからね」という言葉を残し、逃げるように理事長室を出ていった。  バイオロイド管理局からの通達に、一度は全救助隊の帰投を指示したキャノップだったが、ボーカストの発電プラントが爆破されたことと、なによりそのあとすぐにウォーレス部長が出してきた『資料』を見て、その指示を撤回したのだ。  ただ、外泊届けが出されているバイオロイドについては学校に戻るよう伝えている。ヘイゼルとファランヴェール以外には。 「本当に、いいんで?」  ウォーレスがキャノップにそう確認する。 「これが本当なら、管理局の命令に従ったところで、この学校に未来はない」  キャノップは、ウォーレスから渡された資料の入った情報端末を見ながらそう答えた。  ウォーレスがキャノップに渡したもの――それは、現在の行政府に蔓延る『腐敗』の実態とその証拠の数々であった。  もちろん、行政長官とバイオロイド解放戦線――それを操る人工知能『ムイアン』の繋がりもかなり詳しく書かれている。  フユ・リオンディがウォーレスに託した写真。その裏面は、極薄にして高密度の磁気記録被膜で覆われていた。  ウォーレスがそれを解析したものが、その資料だったのだ。 「まさか行政長官が、バイオロイドをこのネオアースから完全に排除するために動いていたとは」  行政府内にバイオロイド反対派がいることは公然のことであったが、ここまで過激な計画が練られていたとは、キャノップにとっても驚きだった。 「これを、リオンディ君の父親が全部調べたというのか。こんなもの、単なるバイオロイド研究者の所業じゃない。アキト・リオンディ……一体何者だ」  もうすでにアキトは死んでいる。キャノップは、会議などで何度か見かけたことはあったが、結局一度もしゃべらずじまいだった。 「あれ? 理事長はご存じなのかと思っていましたが」  ウォーレスが不思議そうな声を上げる。 「何をだ」 「彼について調べましたよ。ほとんど記録が残ってなかったんですがね。『何者か』なんてことは分かりませんでしたが、出自くらいは。アキト・リオンディの祖母はマユル・リオンディというんですが、結婚する前は、マユル・ミグランという名だったそうです」 「ミグラン?」 「ええ。その彼女の父親の名が、ミルヴィニー・ミグラン」 「なんと」  キャノップの驚きは、きっと彼が生きてきた何十年の人生の中でも、一二を争う大きさだっただろう。 「ミグラン社長の、娘さん……そうか、そうだったのか。いや、俺はその女性に会ったことがない。ミグラン社長は独身だったと思ってた」  まさか自分の学校の生徒に、自分の恩師の曾孫がいたとは、キャノップは思いもしなかった。 「だからか、ファランヴェール……全く、いつも俺には何も教えてくれない。あの時も、今も、全く」  キャノップは、寂しさを隠そうともせずに、そうつぶやいた。 「だが、ウォーレス部長。これが公表されれば、君もただでは済まない。本当にいいのか」  アキトの資料。そこに載っていたのは、行政長官とバイオロイド解放戦線関係だけではない。  バイオロイド賛成派の『腐敗』――行政副長官らと何人かのバイオロイド研究者とのつながりも書かれてある。その中に、ウォーレスの名前もあったのだ。 「私の名前を削除すれば、その資料自体の信ぴょう性が疑われます。他にも、私が手に入れた証拠がいくつかありますが、それと合わせれば、今の行政長官を追い出し、政策を変更させることも可能でしょう。もちろん、次の行政長官の考え次第でしょうがね」 「自らを犠牲に、か。随分と、殊勝な心掛けだな」 「この学校には迷惑はかけませんよ。私の戻ってくる場所がなくなりますからね」 「戻ってくるつもりか」 「いけませんかね」  ウォーレスは、口元に薄ら笑いを浮かべながら、キャノップにそう尋ねた。 「君らしいな。時間はかかるかもしれん。だが、なんとかしよう。これでも俺は随分と顔が広いんでな」  キャノップの答えに、ウォーレスは「どうも」と言って、笑った。 「治安警察に掛け合ってみよう。ボーカスト以外の発電プラントも狙われているなら、放ってはおけない。大惨事になる」 「信用してもらえますかね」 「なんとかするさ。治安警察にも顔は効く」  話が終わると、ウォーレスは理事長室を後にした。キャノップには、やるべきことが山積みである。  ふとキャノップは、ファランヴェールのことを思った。  フユ・リオンディの位置情報から、ファランヴェールがベイサイド・エリアの『あの場所』にいることは分かっている。 「リオンディ君を連れて、ミグラン社長に『お別れ』を言いに行ったんだな、君は」  キャノップの独り言は、誰の耳にも入ることなく、宙へと消えた。
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