クロスドレス・B・エイダー ~灰髪のヘイゼル~
第26話 その姿の君と共に
ブリーフィングルームに、先ほどとは明らかに異なる意味のこもったざわめきが巻き起こる。ヘイゼルが現れるのがエンゲージよりも前であったなら、きっとルームの中は、嘲笑と侮蔑で満ち溢れていたことだろう。
地球圏ではすでにジェンダーレス化がかなり進んでいたが、ここネオアースではいまだに性差に対する偏見は根強く残っている。惑星開拓者にとって性別による『役割分担』は生存に直結するものであり、それを省みる余裕など無かったからだった。
男性型のバイオロイドが女性物の衣服を着ている。それだけでも奇異の目で見られるが、ヘイゼルが伏し目がちにフユのいるブースにやってきた時には、抑えきれない笑い声がどこからともなくクスクスと漏れた。
――特待生様は良い趣味をしていらっしゃる。
今にもそんな声が聞こえてきそうだった。
ヘイゼルは何も言わず、かといって席に座ることもなく、ただ机の横に立っている。フユと視線を合わそうとはしない。
今のヘイゼルは、テラスでフユに見せた、はにかむような恥じらいとは全く別のものに支配されている。フユには、心なしかヘイゼルの腕が震えているように見えた。
「ヘイゼル、座って」
フユが声を掛ける。ヘイゼルはフユと視線を合わさないまま、左端の席にゆっくりと座る。
またどこからか、今度は軽い口笛の音が聞こえた。ヘイゼルが俯く。
「ごめんなさい、フユ、ごめんなさい。フユに迷惑を」
消え入るような声で、ヘイゼルがつぶやいた。
きっとヘイゼルは、ブリーフィングルームに入るまではある種の高揚感を持っていたに違いない。待ちに待っていたフユとの共同訓練。昨夜フユに見せた、自らのアイデンティティともいえるパーソナルウェアを着て、そしてルームに入った瞬間に受けた視線。
その時ヘイゼルは、自分が他の者からどういう目で見られているかを初めて意識したのだろう。そして、その視線がフユにも向けられてしまうことも。
ヘイゼルは俯いたまま、膝を手で押さえつけ、きゅっと拳を握っていた。椅子に座りながらも、できるだけフユから距離を置こうと、更に体を左へと寄せている。
と、フユが真ん中の座席へと移る。そして左手をヘイゼルの手の上に置いた。
「似合ってるよ」
お世辞ではない。フユの目には、ヘイゼルが本当に空から舞い降りてきた天使のように――ただしその羽は黒かったが――見えた。
ヘイゼルが顔を上げ、フユを見る。その黒い瞳は、希望を宿すようでも、縋るようでもあった。
ルーム内に騒めきと舌打ちが響く。とたんに、ヘイゼルの瞳が不安に揺れた。フユの目が鋭くゆがみ、その手に力が入る。明らかに、フユは立ち上がろうとしていた。
その時だった。
「静かに」
野太い声が飛んだ。ブリーフィングルームにトレーナーが入ってきたのだ。とたんにルームの中が静まり返る。
フユはふっと息を吐き、ヘイゼルに向けてそっと微笑んで見せた。その笑顔にも、ヘイゼルは俯くという行動で応えてしまった。
すぐに野外訓練の説明が始まった。ヘイゼルはそれでも顔を上げることができないでいたが、そんなヘイゼルの手をフユは握ったままでその説明を聴いていた。
訓練内容は、一年生用ということでさほど複雑なものではない。いわば「かくれんぼ」のようなもので、隠れている生徒たちを、バイオロイドたちが見つけ出し、その数を競おうというものである。
ただし、生徒は隠れてばかりではなく、自分も他の生徒の捜索をしつつ、インカム(ヘッドセット型トランシーバー)でバイオロイドに捜索場所や方法の指示を出さなければならない。バイオロイドは周囲の状況を自分のコンダクター役となる生徒に報告し、その指示に従って捜索をするのだ。
そこで重要になってくるのがインカムの扱いだった。ネオアースはロスから発せられる高周波の電磁波が様々な電子機器に強く影響するため、無線通信にはその影響を受けにくい超低周波を使う。しかし超低周波で送ることのできる情報は極めて少なく、鮮明な音声通信は不可能だった。
結果、コンダクターとエイダーの間の通信は圧縮暗号のようなもので行われる。だから正確な意思疎通には、互いの共通認識と信頼感が必要だった。共同訓練は、その訓練でもあるのだ。
「大丈夫だよ」
説明が終わってもまだ俯いたままでいるヘイゼルに向け、フユがもう一度ささやく。他の者がブリーフィングルームを次々と出ていってもなお、ヘイゼルはそのままの態勢でいた。
フユが突然、ヘイゼルを抱きしめる。
「フユ……ダメ、みんなが、見てる」
ヘイゼルは身をよじり、フユの抱擁から逃れようとしている。
「じゃあ、一緒に訓練に行ってくれるかい?」
強い力でヘイゼルを抱きしめたまま、フユがヘイゼルの耳元で尋ねた。ヘイゼルが抵抗を止めたのを確認し、フユはヘイゼルの身を離す。
ヘイゼルはすぐに下を向いてしまったが、胸の前で手を組むと、そのまま黙って小さくうなずいた。
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