トーチ。 正しい名を『トーチ・トライアン』。 グリム王国第1王子フロイド・ウェルヘルム・ヤゴードの側近であり、彼を護衛する役目を担っている青年の名前だ。フロイド王子と年も近く、それ故か王子も彼と話す時はどこか砕けた雰囲気となる。人間不信の王子が、唯一心を開ける存在といっても過言ではないだろう。 本人自身もとても紳士的な人間で、その印象を一言で述べるなら爽やかな好青年、といったところ。清潔に切りそろえられた短い黒髪に、涼やかな目元が印象的な精悍な顔だちの青年。その顔に、にこりと浮かべられた優しい微笑みを見て、彼が悪い人間であると思える者は、きっといないはずだ。 そんなトーチ・トライアンに私が告白をしたのは、つい昨日のこと。 学園長に命じられ、学生寮のベッドシートの洗濯をする私の手伝いを買って出てくれた彼に、思わず「好き」と漏らしちゃったのがきっかけだった。 一応言い訳をすると、こんなところで告白するつもりはなかった。マジで。 もっとフラグをちゃんと経てて、ムードを作り、狙いを澄まして告白するつもりだったのだ。恋愛はいつだって、虎視眈々と獲物を狙ってなんぼ。両片思いだとしても、告白はちゃんとムードのあるところで! これ絶対! でもあの時は、しかたがなかったの。 だって、かっこよかったんだもん。 押し付けられた洗濯の量の多さに悲観する私の前に現れた彼が、汚れる事も厭わずに手伝ってくれた彼が、そんな彼の――……、 洗濯を手伝う為に、普段はきっちりと着こなしてる制服の袖がまくられたそこから出てきた、たくましい推しの二の腕が、かっこよすぎたんだもん……! (だってだって、二の腕だよ⁉ 推しの! 二の腕だよ⁉ 普段は絶対に見られない、袖という名の鉄壁ガードが貼られている筈のその場所が、今、私の為に、私の目の前で、まくりあげられ、普段は見られない推しの体の一部が見えるんですよ⁉) はぁ~~~~~⁉ ここ、どこの天国ですか、楽園ですか、オアシスですか⁉ 公式でも拝めなかったものが、公式で拝めてる⁉ ちょっと何言ってるかわからないって⁉ だいじょうぶ、私もちょっと何言ってるかわかってない‼ ――……そう、ここまでの反応を見て貰ってわかる通り、実を言うとこのトーチ・トライアンこそが、シン3における私の最大推しキャラなのである。 正直、彼に入れ込むつもりはゲームを買った当初はなかった。そもそもフロイド王子の顔面が即購入の理由だったわけだし。多分推すのは、この金髪ザ・王子フェイスの彼だろうなぁ、とその時はなんとなく思ったものだ。 が、蓋を開けて見たらどうだ。 私の予想は外れ、推しになる予定だった男の側近が推しになった。 超展開過ぎる。ジェットコースターもびっくりの超特急下降である。安全セーフティーバーなど吹っ飛んだ。私はトーチ・トライアンの女になった。 心の底では人間不信の王子を長年一人で支え、しかし従僕に仕えるだけではなく、時に主が道を踏み外しそうになれば、側近として、友として、全身全霊を以ってその間違いを正す。 そうして例え周囲が味方しなくとも、仕えし主の意見が正しいものであれば、命を賭してでも彼の正義を守る――。 こんなんもう、惚れてまうに決まっとるやろが~~~~~~~! こんな健気純粋家臣の想いを前に、胸打たれるなって方が無理でしょうが~~~っ! だから、ここがシン3の世界だと気づいた時、私は決心した。――恋愛ルートは、絶対に、この推しと発生させると。 だって、ここは『乙女ゲーム』の世界。例え皆が気づいていなくても、そうである以上、正ヒロインとして生を受けてしまった私は、必ず誰かと恋愛ルートを発生させなければならない。 だがゲームと違うのは、やり直しが聞かないこと。 選択肢を間違えたからって、セーブデータを使って過去に戻ることもできないし、一人と付き合ってゴールインしたからって、人生を最初からやり直しできるわけじゃない。 付き合う時は一生涯だ。 別れることも、止めることも、きっと許されない。 ならば1番好きな相手と一緒になりたいと思うのは、きっと乙女心として自然なことのはずだ。私はトーチ・トライアンと、トーチと……、推しと恋愛ルートを発生させる! それがこの世界を生きる"私"の目標となった。 なったのだ、が――……。 『お言葉ですが、あなたの言うそれは、『恋』ではありませんよ。Ms.シンデレラ』 『あなたにはもっと、相応しい『運命の相手』が居るはずです』そう言って、トーチは私の前から去った。 にこりと、いつも通りの優し気な微笑みをその顔に浮かべて――。 「いい加減、諦めたらどうだ」 私の話を聞いて、最初にそう口を開いたのはフロイド王子だった。 「ちょっと、フロイドっ」とジェイアール王子が怒った声をあげるも、ツーンとすまし顔でフロイド王子はお茶を飲んでいる。ルイス王子も「それは言い過ぎだよ、フーちゃん」と焦りの声をあげるが、それすらも「ハッ」と鼻で一蹴していく。 「あいつは基本的に人の好意を断らない。だが、そんな奴が、こいつには、はっきりと断ったんだ。どう考えても脈がないのは、明白だろう」 「そ、それはそうかもしれないけど……」 「フロイドっ。あんたもう少し、言い方ってものをね、」 「いいですよー、ルイス王子、ジェイアール王子。私だって、わかってますもん。無理難題な恋愛してるってことぐらいはー」 ふぅ、とため息をこぼしながら言えば、「シンデレラちゃん……」「シーちゃん……」と二人から同情の眼差しが飛んでくる。 「わかってるんです。振り向いて貰えない可能性の方が高いことも、彼と両想いになるのが絶対に無理なことも……」 そう、わかっているのだ。私にだって、本当は無理なんだろうってことは。 なぜならこの推しは――……、 (本来ならば、恋愛ルートが存在しない、物語内のただのいち登場人物に過ぎないのだから……!) 乙女ゲームの世界には、2種類の登場人物がいる。 それは、固有ルートを持っているか、持っていないか、だ。 前者は当然ながら、攻略対象にあたるメインキャラクター達のこと。 そして後者に属するのは、それ以外のキャラ達。そして、この『それ以外』というのが、実は意外と知られていないのだが、さらに2つの人種にわけることが可能となっている。 ひとつは、モブキャラ。いわゆる街の人や、メインキャラ以外の学園の生徒達と言った、その他大勢に部類するキャラ達のことである。特徴的な見た目はなく、立ち絵なんかも使いまわしな場合が多い。目元が影で隠された、顔グラがない場合もあるし、酷い時は、シルエットしか存在しない。 そしてもうひとつは、物語の中核的ポジションにあり、声だけ台詞だけではなく、ちゃんと顔もあり、立ち絵グラもいくつか使い分けで存在する、サブのメインキャラクター達だ。 たとえば、冒頭の継母や学園長なんかが、このサブのメインキャラクターにあたるだろう。彼女達は、主人公達の恋路をじゃましたり、時には大きな『転』に繋がる出来事を起こしてくれたりと、物語内において攻略対象とは別の意味で非常に重要な役割を担ってくれるキャラとなっている。 物語の内容によっては、敵だと思ったそのサブが、仲間、強い味方になってくれる事だってある。 要するに、物語を進行する為には、絶対確実に必要なキャラ達だという事だ。 そして、私の推し、トーチ・トライアンも、そのサブのキャラクターの一人。 恋愛ルートの存在しない、乙女ゲームのキャラクターなのである……! (いや、本当。最初知った時は、気が狂うかと思ったよね、マジで) え? なんでこんないいキャラにルートがないの? 何かのバグ? あれ? 間違いだよね? 嘘でしょ、公式様、嘘だと言って、嘘だ~~~~~~~~~って、ベッドの上ででんぐり返って大暴れしたものだ。 アパートだったせいで、隣人から壁ドンくらったのもいい思い出である。どうせ壁ドンくらうなら、イケメンにされたい人生でした、完。 というわけで、公式でルートがない以上、この世界で〝シンデレラ〟とトーチ・トライアンが付き合う可能性は0に等しいということだ。 こんなにも‼ 推しが‼ 近いところにいるのに‼ 手だしが出来ないなん、て‼ 血涙案件だぜ‼ 歯ギしリぃっ‼ 「……と言いますか、なんでフロイド王子は告白のことを知ってるんですか」 「トーチ本人から聞いた。お前に関わる事は、逐一報告するように義務付けてあるからな」 「愛しい女の全てを知っておきたいと思うのは、男として当然のことだろう?」と、フロイド王子がにやりと口の端を持ち上げながら言った。 やだっ、この王子、権力を糧にストーカーしてるわ! 誰よっ、この男に権力持たせちゃったの! ストーカーと権力は混ぜるな危険って教わらなかったの⁉ 「もしかして……、今日、この場にトーチがいなかったのは、私から告白の話を聞く為ですか?」 周囲を見渡しながら訊ねる。 いやね、彼が一人で学園内を歩いてる時から、実はおかしいなーって思ってはいたんですよねー。だって、トーチは彼の護衛を務める側近なんですよ? そんな彼を置いて、フロイド王子が一人学園内を歩く筈がない。 いつ何時何が起きてもいいように、寮の自室以外は、必ずトーチはフロイド王子の側にいる筈なのだ。 「あいつには今、茶菓子の買い出しに行かせている」とフロイド王子が返してきた。そうしてやはり意地の悪いように微笑むと、「それとも、本人の前での公開処刑をお望みだったか?」とそう言葉を続けてきた。 (やだもーっ! このザ・王子フェイス、マジ暴君ですわーっ) 振ってきた本人の前で、振られた話をまた掘り返すとか、それどこの地獄ですかーっ。いや、本人がいなくとも話を掘り返してこられた辺りで、クソ地獄絵ですけどねー!。 顔が好みじゃなかったら、そのフェイス殴り倒してましたわよ! 日々の家事力で鍛えられた渾身の一発を舐めるべからず! 「まぁ俺としては、あいつの前で掘り返して完膚なきまでに玉砕して貰った方が、つけ入る隙もできてありがたかったんだがな」 「うわっ、フーちゃん、こわ」 「独占欲もここまでくると、ただの屑ね。これが次の国王候補だなんて世も末だわ」 「黙れ。お前達だって似たようなものだろうが」 「告白の話を聞きたいと言っていたのは、お前達もだろう」とフロイド王子がぎろりと、ルイス王子とジェイアール王子を睨みつける。と、瞬間、ふいっと逃げるように二人がわざとらしく目を逸らす。 マジかよ、あんたらも共犯者ですか。うぇーっ、ここに乙女の味方はいないのかー。ギャン泣きしてやろうか、ごらー。 (まぁ、なんだかんだ乙女ゲームの世界だもんね。彼らが〝ヒロイン〟の動向を気にするのは、どうしたって致し方ないことなのかも) しかも、本来なら固有ルート持ちである自分達に惚れる筈の相手が、本筋と全く違う男に惚れこんでいるのだ。そりゃあやきもきするな、と言う方が無理があるのだろう。恋愛フラグはまだ完全に建ってはいないけど、もしかしたら、乙女ゲームキャラとしての本能が彼らにそんな気持ちを抱かせているのかも。 ということは、このお茶会は、そんなやきもきが溜まりに溜まった結果のそれということか。ごめんね、みんな。私の推しが違うばかりに……。 まぁ、だからって推しを変えるつもりは毛頭ないんですけどね! 反省はするけど後悔はしない! これがオタク女の強さの秘訣よ! 「王子達の気持ちはわかりました。ですが、正直言って、私はトーチを諦めるつもりはありません」 きっぱりと、そう言葉を返す。 私の揺るぎない意思を感じたのか、「チッ」とフロイド王子が舌打ちをした。 「無理だとわかっていて、それでも果敢にも挑むか。ハッ、無謀もいいところだな」 「無謀でもいいんですー。絶対に勝てると思って挑むばかりが、恋愛じゃないのでー」 こいつの性格上、この会話選択肢を選べば、絶対喜ぶ! と思って選んだものが、何故か壊滅フラグや、別れフラグ、失恋フラグだったーなんて事は、無数にありますからねー。 意外と、絶対にこれはない、と思うような選択肢を選ぶ時の方が、実は正解ルートでしたー、なんて事もあるし。ゲームも現実も、恋愛というのはいつだって一筋縄ではいかない強敵なのである。 「それに、別に何も得られなかったわけじゃないですしね! なんたって、今までシンデレラ様としか呼んでくれなかった彼が『Ms.シンデレラ』って呼んでくれたんですよ⁉」 今までは、どんなに頼んでも『シンデレラ様』から呼び方が変わらなかったというのに、あの時は、初めて彼が『Ms.』って呼んでくれたのだ。 様からMs.ですよ、奥様! これって、脈はなくとも好感度はあるってことじゃないですか⁉ 「Msって……。それって、様呼びと、そう違いがなくない?」とぽつりと、ジェイアール王子が呟くのが聞こえたけれど、素知らぬフリをする。いいんですー、呼称の仕方が変わったって点が大事なんですぅ。この際、意味はどうだっていいんですー。 「シーちゃんは、本当にトーくんのことが好きなんだね」 私の腕に抱き着いていたルイス王子が、私の顔を見あげながら言ってきた。その質問に「もちろんですっ」と、ニカッと笑い返す。 「トーチは、私が(この)世界で一番大好きな人(推し)ですから!」 あ、()のところは副音声だと思いください。 流石に皆の前で、推しとか云々言えまないからね。トーチが好きって事以外は、皆には内緒なのである。 「そっかぁ」とルイス王子が私の返答に頷く。「はい、そうなのです!」と私が頷き返せば、にこっと笑いかけてくれる。やぁ~ん、年下(年上)のキュートな微笑頂きましたぁ~。世の中のルイス王子の女の皆、ごめん。私、一足先に天国を味わっています。 にこにこ、にこにこと微笑あう私達に、「チッ」と再びフロイド王子が舌打ちをする。そうして「お前が打たれ強い事を忘れていた。つまらん」と呟きながら不満そうに唇を尖らせると、テーブルの上で頬杖をついた。あらま、また不機嫌にさせちゃったっぽい? (――……もしかして、本当に私が落ちこんでいたら、その時は慰めるつもりだったのかな) というか、本当はこの茶会自体、私を励ます為に行われたものだとしたら――。そんな考えが、脳裏によこぎる。 (本当に、不器用な人だなぁ) でも、そういうところが多くの乙女の心を鷲掴みしてるのは確かなんですけどね。はーっ、これだから、公式シン3人気キャラクターランキングでNo.1をかっさらっていく男は! トーチがいなかったら、完全にアンタ推しだったわ、もうっ! 「でも、シンデレラちゃん」と口を開いたのはジェイアール王子。「諦めないのはいいけれど、これからどうするつもり?」とそう続け、訊ねて来る。 「勢いとは言え、告白して振られちゃってるんでしょう? これからどうやってアタックしていくつもりなの?」 「そこなんですよねー」 「はぁあああああああああああっ」と大きなため息を吐き出した。
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